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これまでの活動
渡辺敦男さん講演「原発はテロや戦争により、あっという間に破壊される」報告
「繰り返させない原発事故 自然エネルギーで日本再生を」報告

福島第1原発事故から7年半を経た2018年11月18日、脱原発をめざす女たちの会は、武藤類子さん(福島刑事告訴団団長)と飯田哲也さん(環境エネルギー政策研究所所長)を迎えて集会を開催した。参加者100人ほどがお二人の中身の濃いお話に聞き入った。

武藤類子さんのお話「原発事故から7年半 福島は今」

毎年、とても丁寧にリアルに福島の今を報告して下さる武藤さん、今回も胸つまり、原発事故をなかったことにしようとする国と東電に怒りが湧きおこるお話だった。

〇放射能汚染のバラまき方針

東電福島第1原発では、放射性物質を含む汚染水が大量に発生し続けている。敷地内に1000トンタンクが800基、ALPS(多核種除去設備)を通した水にはトリチウム以外の核種も入っているが、東電は海洋放出する計画で、「薄めて流せばいい」と言っている。ALPS等で使用された吸着塔を入れた専用の容器をコンクリート製容器に保管しているが、表面の線量が1000ミリシーベルトを越えたものもあるのに、人がそれを交換している。

除染作業で出た8000ベクレル以上の線量のゴミを燃やす仮設焼却炉が25カ所つくられている。その灰を再利用すると言う加工工場を建設中だ。除染土の再利用計画も環境省による実証事業が行われている。たとえば、帰還困難区域の飯館村長泥地区では汚染土を埋めた農地造成が行われ、花の試験栽培が行われている。農家は被曝するし、栽培植物は日本中に拡散する。二本松市では道路の下に埋める計画が住民の反対で中止された。除染土を入れたフレコンバッグは2200万個。それを中間貯蔵施設に運ぶトラックには放射能マークは付いていない。

〇解除された避難指示区域では

19%の住民しか帰還していない。富岡町夜の森では、帰還できる場所に店は1軒しかなく、診療所は1軒。野生動物もいるし治安も悪い、インフラ整備もできていないとか。

2018年10月25日の国連人権理事会で、トゥンジャック特別報告者が声明を発表し、「子どもや出産年齢の女性に対して、避難解除の基準を年間20ミリシーベルトから年間1ミリシーベルトまで下げるよう求め、また、無償住宅供与などの公的支援の打ち切りが、自主避難者らにとって帰還を強いる圧力となっていることなどを指摘したが、これに対し日本の外務省は、国連の場で、根拠がない・風評被害をもたらすと反論した。

〇モニタリングポスト撤去

原子力規制委員会は、福島県内にあるモニタリングポスト3000台のうち2400台を2021年3月までに撤去する方針を出した。「モニタリングポストの継続配置を求める市民の会」が県内市町村に継続配置を要請し、27自治体が撤去しないでという意見書を出している。

〇復興キャンペーン

2016年7月に三春町に作られた福島県環境創造センターでは放射能教育が行われ、これまでに13万人以上が訪れた。「ここで勉強すれば差別はなくなる」と書いてある。

福島第一原発から4キロしか離れていない双葉町の避難指示解除準備区域に、「東日本大震災・原子力災害アーカイブ拠点施設(仮称)」建設が計画されている。福島県は国主体で設置するよう要望していたが、難航し、東京オリンピックに間に合わせるために県主体に変更し、オリンピック開催時までにオープンする計画だという。

日本原子力産業協会ホームページには、「オレたちの原子力 あたしの原子力」「遺伝的影響はない」などのメッセージが踊り、文科省副読本にも「放射能はこわくない」という記述がある。福島第一原発サイトに高校生の見学を奨励している。

〇甲状腺検査では

2018年6月30日現在の福島県民健康調査で明らかになった甲状腺ガン、およびガンの疑いの患者数は合計200人と発表されたが、経過観察中に発見された人は含まれていなかったことがわかり、211人となった。初期被ばくはもっと多かったと言われている。

〇福島原発事故刑事裁判で

34回の公判が終わった。この刑事裁判が認定する直接の被害者は57人。双葉病院の医師・看護師・ケアマネは「地震と津波の被害だけなら患者を助けられた」「避難がなければ、すぐ亡くなる人はいなかった」「避難する前は普段の様子だった」と証言した。

裁判の争点は、①大津波を予見できたか ②対策がとれたか の2点。証人尋問で重要な事実が明らかになった。地震本部の知見(長期評価)を取り入れた津波対策を行う必要があることは、武藤栄元副社長、武黒一郎元副社長に伝えられ、勝俣恒久元会長出席の「御前会議」で了承され、正式に常務会でも了承された。

しかし、対策工事が完了するまで原子炉を止めろという指示が出される恐れがあり、止めたくなかったと。地震本部の知見から大津波が予見できたし、東電は実際に津波計算をし、現場の担当社員は津波対策の計画を立てたのに、対策工事が終わるまで原発を止められることを怖れた経営陣が握りつぶしたのだ。3被告は、「記憶にない」「権限はない」「責任はない」を繰り返し、責任逃れに終始している。

飯田哲也さんのお話「世界の自然エネルギーの現状と日本の未来」

ものすごいスピードで変化している世界のエネルギー事情をビジュアルに説明して下さる飯田さん。その内容に目をパチクリ。お話の結論は、“「核による戦争」「石油を巡る戦争」から「太陽による自立・平等・平和へ」”だった。とても納得した。

〇大転換する「エネルギーの常識」

近代の技術の普及の仕方は加速度的に速くなっている。たとえば、電話やラジオが普及率100%になるのに50年かかったのが、パソコンや携帯電話は20年でほぼ普及している。自然エネルギーの拡大も速く、2017年末には風力発電と太陽光発電の合計容量が原発の設備容量を追い越した。世界の電力供給の風力発電シェアは1980年から始まって、2028年には100%になるかも。

太陽光は1995年から始まって、2028年には100%になるかも。太陽光発電は市場の力で安くなり、10年後には石油を越える可能性がある。インドの太陽光発電コストは石炭よりも安くなった。太陽光は急成長すればするほどコストが低下している。1975年頃、太陽光発電パネルの値段がキロワット時1000万円だったのが、2013年頃には4万円になっている。メキシコ・チリ・ドバイ・サウジアラビアでは日本の発電原価の3分の1ぐらいだ。世界では、自然エネルギーコストが石炭火力並みかそれ以下に下がっている。

エネルギー投資の中心が太陽光・風力・IT化へ。電気自動車は過去6年で100倍増になり、「化石燃料車は8年以内に死滅する」と言われる。技術統合が進み、電気自動車と自動運転とカーシェアを結合した輸送サービスが始まって、スマホで呼べる白タクがあらわれ、車を買う必要がなくなる。これがアメリカでは2年後ぐらいに始まるだろうと予想されている。クルマ市場は構造的な大転換に見舞われ、公共政策もガソリン税や自動車税が入らなくなることから抜本的な見直しが必要になる。世界の原発は作れば作るほど高くなる。不良債権化する原発・石炭という状況の中で、世界では「死のスパイラル」からの脱出が始まっている。

〇「逆走」し立ち遅れる日本

今年の夏、都内では歴史的な酷暑だったが、電気は足りていた。先ごろ地震で全面停電した北海道は分散型電源にしなかったことが原因だ。日本の太陽光発電市場は3.11後にブームがおきたが、その後崩壊の兆しがある。送電線について大手電力会社は「満杯」だと言っているが、空きがあり、「行列のできるガラガラのそば屋さん」状態だ。自然エネルギーの普及は可能なのだ。

自然エネルギーは安くなってきているが、課題は、自然変動する電源をどう送配電システムの中に組み込んで電力の需要と供給のバランスを取るかということ。太陽光・風力発電をどの程度、電源構成の中に組み込んでいるか、という比率を世界的に見ると、日本は(国全体としての比較では)まだ5%程度。しかし、国内でも四国電力は今年5月で再生エネルギー比率100%を達成した日があった。これは画期的なこと。九州電力は太陽光発電の比率が81%になった。ところが、原発再稼働を優先し、供給が需要を上回ることによる大規模停電を防ぐためとして、再生エネルギーの出力抑制を始めている。再生エネの出力抑制をする前にすべきことはある。

日本政府が固執する「ベースロード」という考え方は古く、世界では死語だ。新しい考えは、再生エネ比率を上げて「柔軟性」を確保すること。各地でメガソーラーへの反発が起きているが、日本の土地利用規制の間違い(山林は野放し、農地は厳しい)にも起因している。太陽光発電の廃棄物とそのリサイクルへの努力が必要だ。

〇地域熱供給によるエネルギーシフト

旧来型の電力・ガス・石油による熱供給から、温熱を利用した地域熱供給と再生可能エネルギーを統合したシステムが始まっている。メガ太陽熱の地域熱供給で温水を貯蔵し利用するシステムなどだ。さらにバイオガスをメタン化する方法なども追及されている。

〇ご当地エネルギーで変革を

ご当地エネルギー(コミュニティパワー)とは、①地域のオーナーシップ ②地域が意思決定する ③地域が便益を共有する、ご当地電力「会社」のこと。飯館電力や会津電力など各地に広がっている。その中で、農業と発電で太陽をシェアするソーラーシェアリング〈営農発電〉も広がっている。日本の農地は495万ha、そのうち耕作放棄地は40万ha。農地でソーラーシェアリングすれば、太陽光発電で2200ギガワット発電できる。これは、日本全体で現在、消費している全電力と同じぐらいだ。

変革は周辺から起きる。「核による戦争」「石油を巡る戦争」から「太陽による自立・平等・平和」へ歩みだそう。

〇原発ゼロ法案の成立を

飯田さんの元気の出るパワフルな講演を聴いて、未来は明るいという気になった。その後、脱原発をめざす女たちの会の呼びかけ人である、参議院議員の福島みずほさん、衆議院議員の大河原雅子さんから国会報告を受け、議員立法の原発ゼロ法案が店晒し状態にされていることに対し、審議を求めていこうと確認しあって、閉会した。

渡辺敦男さん講演「原発はテロや戦争により、あっという間に破壊される」報告
2018年7月13日(金)、元東芝原発設計技術者で現在は安保法制違憲訴訟の原告としても活動されている渡辺敦男さんに、「原発はテロや戦争により、あっという間に破壊される」と題してご講演いただきました。講演者の渡辺敦雄さんは、過日、安保法制違憲訴訟の法廷で、元東芝の原発設計技術者として、原発がいかに外部からの攻撃に脆弱なものであるかを具体的に証言されました。浜岡原発の映像を投影しての証言は衝撃的なもので、裁判官も身を乗り出して聞いていました。

安倍政権が煽り立てる外部からの軍事的「脅威」は現実のものとは言えませんが、安保法制により「安全になる」どころか、アメリカと一体となった日本が戦争に巻き込まれる危険性は高まっています。そんな中での原発再稼働の推進って何? 今回の講演では、元原発設計技術者ならではの視点から具体的に、「原発のどこが脆弱なのか」を分かりやすく説明していただきました。この講演を聴いて、私たちは原発のリアルな危険性を改めて認識させられました。以下、当日の渡辺さんのご講演の内容を要約します。

(渡辺敦男さん講演の要約)

最初に、私の略歴をお話します。私は1971年に大学を卒業し、東芝に入社しました。当時、福島第一の1号機はすでに動いていて、私が設計したのは3号機・5号機。あとは女川の1号機、浜岡の1・2・3号機など。ところで、何故、番号がこんなに中途半端なのか、不思議に思いませんか?今、世界的に、原発を建設するにはおよそ一兆円かかる、と言われています。そういった大きな仕事なので、原発建設は国家プロジェクト。日本だと東芝・日立・三菱と3社あって、国としては一つのメーカーだけに受注させるわけにはいかない。そこで3社で均等に配分している。

原子力の話の前に、まず危機管理の話をします。震災・津波などの災害や事故に対処するときまず重要なのは、事実を把握して、真実を見抜くこと。そうして初めて、正しく対処ができる。例えば、東日本大震災の津波の犠牲者で一番多かったのは「ろう者」だった。何故かというと、津波の警報など、最初は必ず音なので、それが聞こえないと、逃げるのが5分、10分と遅れてしまう。それが事実で、そこを押さえておかないと、正しく将来の対策が立てられない。いろんな事故や災害に学んで、真実をきちんと見抜いていく。そうすれば、最悪の事態が想像でき、自分が少しでも安心できるような行動計画・対策を立てることができる。

そういう危機管理の鉄則を理解した上で、今日の話は、安保法制が成立した今、原子力発電所がどういう位置づけになるのか、ということ。その事実を知ることで、皆さんが少しでも安心するために、どういう行動計画・対策を立てればよいか、それが分かるようになります。

では、今日の話の本論に入ります。最初に、原発の立地場所について。日本では54基のすべてが海岸にある。これがまず、日本の原発の特徴。規制庁の許可を得て、現在稼働中の原発は9基。54基に比べればずいぶん少ないが、事故後4年間、ずっとゼロだったのが、7年後の今は9基も稼働している。その安全は担保されているのか?それについて、規制委員会の田中委員長は「我々は安全を担保しているのではない」と。規制委員会は「安全委員会ではなく、規則に合っているか確認しているだけなのだ、と。これ、すごく恐ろしくないですか。現在、許可を受けて運転している原発について、原子力規制委員会の委員長は安全を保障していない、担保していない。これをまず、事実として確認する必要がある。

次に、原発は本体が破壊されなくても、冷却材の喪失により、容易に重大事故(放射能拡散)を引き起こす、ということ。また、停止中の原発でも、多量の使用済み核燃料が保管されていて、それを冷却し続けなくてはならない。これらの事実をまず、しっかりと確認しておきましょう。

次に、浜岡原発が損傷すれば、首都圏にも甚大な被害が予想される、ということ。そういうシミュレーション結果を、朝日新聞が報じた。これは後で詳しく説明します。 そして、安保法制が成立したことで、日本本土が戦争当事国として攻撃を受ける可能性が生じた。私は、原発の利用を永久に停止して、使用済み燃料は水を使わない、空気で冷やす貯蔵方法(ドライ・キャスク方式)で保存しておけば、燃料だけ保管するのであればそんなに広いスペースは要らないし、コンクリートの頑丈な建物を作っておけば地震も心配ない。これで10万年保管できる。そういう意味で、安保法制が成立する前までは、これで私も安心して死ねる、孫たちにも安全な日本を残せる、と思っていた。ところが、安保法制が成立して、私は一転、原発がテロや戦争で破壊されて甚大な被害を起こす危険性を感じ、不安に陥れられた。これが、私が安保法制違憲訴訟の原告になった理由です。

原発は何故、「安全に停止し、原子炉自体が破壊されなくても、重大な事故を引き起こす」のか?これはつまり、原子炉を冷却する冷却材がなくなってしまったら、ということです。福島原発だって、安全に停止はしたのですよ。停止してから後の冷却が問題で、あんな大事故になってしまった。

原発が運転中でなくても、使用済み燃料も大問題です。福島の4号機は停止していたのだが、使用済み燃料プールに燃料が保管してあったためにえらい騒ぎで、プールの水で冷却できなくなれば、あるいはその冷却水をさらに冷やす海水がなくなれば、爆発する。

さっき、一基の原子炉を作るのに1兆円、という話をしましたが、この1兆円のうちの7千億円くらいは、その原子炉の生涯で一度も使われない(つまり緊急事態にのみ、使われる)部分。だから使われなかったら「ああ良かった」という部分。福島原発の場合は、その部分が、緊急事態で使ってみたら動かなかった。 ここで、崩壊熱の原理を説明します。原発の中でウラン235という燃料に中性子を当てると、核分裂を起こして、例えばセシウム137とストロンチウム95になる。セシウムの方で言うと、セシウムはベータ崩壊をして、バリウム何とかになって、最終的にはバリウム137(胃のレントゲン写真で飲むもの)という安定したものになる。その途中でベータ崩壊だのガンマ崩壊だので、要は熱を発生する。この崩壊熱というのが、原子力発電の最大の特徴です。

この熱をとにかく、冷やさなくてはならない。これがどのくらいの熱かというのを分かりやすく説明すると、5年後でも3×10の五乗ワット、家庭のお風呂の20度の水が、200秒間で100度に沸騰する熱量。使用済み燃料から、これから何百年も、こういう熱が出続ける。だから今でも、事故を起こした福島原発は水びたしになっている。ずっと冷やし続けている。まあ10万年すれば熱は下がってくるのですが、いずれにしても人間が近寄れるようにはならない。とにかくすごい熱で、それだけの熱を冷やすのに、海水を持ってこなくてはいけない。冷却に失敗したら爆発してしまうから。最終的に、熱は海に捨てられる。

日本の原発は基本的には二つのタイプ、BWR(沸騰水型)とPWR(加圧水型)があるが、福島原発はすべてBWR。先ほど、原発一基で1兆円、そのうち一度も使われない部分が7千億円という話をしたが、その部分ももちろん、定期的に動かして検査は必要。定期的に検査しておかないと、さびがついたりして、いざというときに動かない。それでとにかく、原発は停止していても、ずっと冷やし続けなくてはならないから、この冷却系を破壊してしまえば、すべては終わり。原子炉の本体など、全く破壊する必要はない。BWR、PWRに関わらず、すべての原発はこのようになっている。

それで、事故のときにどうなるか、まとめるとこうです。原発は安全に停止した。しかし膨大な崩壊熱が放出され続けているので、この熱を海水に逃がさなくてはならない。その崩壊熱除去に失敗すれば、炉心が溶融し、熱と水素が発生し、爆発する。その結果、莫大な放射能が拡散され、広範囲な地域が汚染される。崩壊熱を冷却するのに、海外(フランスなど)で行われている空冷という方法もあるが、日本では広大な平地がないので、難しい。これが日本で、すべての原発が海岸にある理由です。冷却に海水が必要だからです。

さきほど「停止中の原発も安全ではない」という話をしました。どのくらい危険なのか。100KW級の原発一基は、一日運転するとヒロシマ級原爆3個分の放射性物質が発生する。一年運転すれば約千発分。それを何年も続けてきた。それだけの放射性物質が、原発には蓄えられている。福島原発事故の後、私は福島には少なくとも100年は戻れないかもしれない、と言いました。それは別に根拠なく言っているわけではなく、あの事故ではおおよそ、ヒロシマ級原爆の200発分が放出された、ということなので、単純な計算で、広島には3年で戻れたが、福島に戻るのは少なくとも100年はかかる、と。

現在の原発の使用済み燃料の状態はどうか。全国のほとんどの原発の使用済み燃料プールは、すでに満杯に近い状態です。全原発で、40万トンくらいある。これ以上運転を続ければ、使用済み燃料を置く場所を作らなくてはならないが、ずっと冷却し続けなくてはならないので、その設備を作るのが大変です。

次に、いよいよ実際に事故が起こったときの被害の問題。私、渡辺敦男は何を、不安に感じておののいているのか。これは浜岡原発の配置図ですが、浜岡はとても特殊な原子炉の配置になっています。通常は、海側に原子炉があり、タービンは山側に配置する。ところが浜岡はすべて逆で原子炉が山側にあり、冷却水をわざわざ遠回りして原子炉まで引き込んでいる。何故か。この直下に実は活断層があるからです。活断層を避けるために、こんな配置になってしまった。もう一つ、特徴としては取水口がかなり岸から遠くにある。これはこの辺りの海が遠浅だからです。ここが、テロに狙われやすい。ここを破壊して、冷却用の海水が取り込めなければ終わり。 次に、これは朝日新聞の2014年5月25日版に掲載されたものですが、浜岡で福島級の事故が起きたときの放射能拡散予測のシミュレーションです。この予測図は、何故か一ヵ月後に掲載禁止になりました。たぶん、何等かの圧力があったのではないか。このシミュレーション結果によると、東京は0.1~0.5μSv/時。放射線管理区域の基準が0.6μSv/時ですから、ほとんどそれに近い値です。そんなところに住めますか?最初に危機管理の話で申し上げたように、常に最悪の事態を想定しなくてはいけないのです。一旦、浜岡で事故が起これば、東京が住めなくなる、そういう最悪の事態を覚悟しておかなくてはならない。

ちょっと余計な話ですが、日本で何故、エアバッグとかシートベルトとか、そういう安全性を高める技術が開発されなかったのか。ご存じのように日本は高い技術力を持っています。にもかかわらず、そういう安全技術を最初に開発したのは日本ではなく、ドイツやスウェーデンの自動車メーカー。衝突はそんなに頻繁に起こるものではないが、衝突すれば最悪の事態が起こり得るから、それに備えてどうするか、と考えるのがドイツやスウェーデン、それに対して、事故は頻繁に起こらないから、そんなことは考えなくても良い、というのが日本。

それで、これは皆さん全員が同意されることと思いますが、「安保法制の成立によって、日本が戦争当事国となり、攻撃(非核攻撃)を受ける可能性が生じた」ということ。ヨーロッパの国々のように、日本もテロ攻撃を受ける可能性が出てきた。それでは、日本の原発は何か、テロ対策をやっているのか?一言でいえば、何もやっていません。原子炉も、ミサイル攻撃に対応できるような設計はしていません。 昨年、グリーンピースがフランスの原発に侵入し、(原発の無防備さを示すために)花火を打ち上げた、というニュースが報道されました。フランスの原発は、日本の原発よりも警備が厳しくて、警備員は銃も持っている。そういう厳しい警備をかいくぐって原発敷地内に侵入し、花火を打ち上げた。花火を打ち上げることができるなら、手りゅう弾を爆発させるくらい簡単にできます。フランスでさえ、こんな簡単に侵入できるのだから、日本の原発に侵入して手りゅう弾を投げることなど簡単です。ましてや日本の原発はすべて海岸にある。海から船で接近していけば、フランスなどよりもっと容易に侵入できるでしょう。

例えば浜岡原発で、手りゅう弾一発あれば簡単に破壊できる、という箇所はここ、緊急時海水取水ポンプの部分です。こういう設備は、爆発のような強い外圧に対して耐えるような設計にはなっていないので、簡単に破壊されてしまう。こんなことは、私だけが分かっていることではなくて、技術者なら誰でも分かっていることです。でも、それが分かってしまうと、何も対応できないから、誰も言わない。原発はテロ攻撃などに対して、安全な設計にはなっていない。それが、規制委員会の委員長が「安全は担保しません」と言わざるを得なかった理由でしょう。

原発のような複雑な機械を破綻させるには、全体を破壊する必要はありません。冷却系の脆弱さの話をしましたが、制御系の、電子計器などもそうです。原発を制御する計器は、耐震・耐圧設計自体が難しい。制御系は攻撃に弱いのです。制御機器系を手りゅう弾などでやられたら、それでも終わりです。今日のまとめとして私が言いたいことは、原発への侵入は簡単にできる。それはグリーンピースが証明してしまった。そして手りゅう弾程度の爆発物があれば、簡単に原発システム全体を破綻に陥れることができてしまう、ということ。原発には、そういう危険性があるということです。

安保法制は何故、問題かというと、それが「原発のフェーズアウト」を台無しにするからです。「原発のフェーズアウト」とは「原発を永久停止して、使用済み核燃料のみを管理する」、「そのために乾式貯蔵(空冷)などの技術対応をする」、「そうすれば、地震・津波などによる放射能拡散は防げる」という考えに基づく脱原発のためのステップです。これは技術的に、可能なことです。ところが、安保法制成立の結果、テロや戦争による原発への攻撃の可能性が生じてしまった。この攻撃には、核ミサイルなど必要ありません。今日、説明したように手りゅう弾を持ったテロリスト数名で実行できる。この危険性は、技術的には対応できない困難な問題なのです。

ここで、「廃炉」という言葉についてお話しておきたい。私は「廃炉」という言葉は使いたくない。「廃炉」というのは、何か「元に戻す」イメージがあるが、原発は決して「元には戻らない」のです。今日もご説明したように、膨大な使用済み燃料がある。元に戻るわけがないでしょう。だから(原発と使用済み燃料は)、静かに、安全に保管・管理しておく方法を考えるしかない。だから、私は「廃炉」と言わず、「永久停止」と言っている。

最後に、「乾式貯蔵(空冷)」の技術について。これは別に私の想像ではなくて、各電力会社で研究しているものです。中部電力のホームページにある資料で説明しますが、こういう金属の筒(ドライ・キャスク)の中に使用済み燃料を保管するようになっている。これで、原子炉一基、一年分の使用済み燃料が入ります。だから、保管に大きな設備を必要としない。水ではなく、空気で冷却します。空冷だから、設備が攻撃を受けても空気は自然に入ってくるので安全です。最初は電気を使って強制的に空気を入れて冷やさなくてはならないかもしれませんが、温度が下がってくれば自然空冷でも大丈夫だと思います。こういう方式は、中部電力だけでなく、他の電力会社も研究しています。

ということで、いろいろと説明してきましたが、ご質問もあると思いますので、これで私の説明は一旦、終わります。ご清聴ありがとうございました。

講演会「原発ゼロで日本経済は再生する」報告
講演 吉原毅さん
原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟会長 城南信用金庫相談役


2018年5月15日(火)脱原発をめざす女たちの会講演会を開催しました。講演者は原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟会長として飛び回っている吉原毅さん。平日の夕方、5時半から7時半というやや早めの時間帯でしたが、参議院議員会館会議室には国会議員や議員秘書も含めて60人を超える聴衆が集まりました。男性も多く、また、若い方々もかなり見受けられました。 講演にさきだって、「脱原発をめざす女たちの会」の呼びかけ人の一人、福島みずほ参議院議員(社民党)から、今国会に提出されている脱原発基本法の成立に向けて力を結集してゆきたいこと、近々行われる新潟県知事選に立候補予定の池田千賀子さんは柏崎刈羽原発の再稼働を許さないという立場であり、応援してゆきたいことなどの呼びかけがありました。

=== 吉原毅さんの講演 ===

自己紹介

私は2011年3月11日の東日本大震災の折には城南信用金庫の理事長をしていました。信用金庫はそもそも株主の利潤追求のための企業ではなく、地域をよくしてゆく、公益のための共同組織企業です。そのトップになった途端に大震災が起きました。私はそれまで、日本の原発は多重に防護されていて無事故と信じていましたが、なんと今までも事故は多発していたのです。報道されず、学者や委員会は嘘ばかり言っていたのです。また、原発は安全で安価で地球温暖化対策として環境に良い、とも言われていましたが、実は危険で高くつき、環境にも良くないとわかり、2017年4月に脱原発で横断的につながるための原自連(原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟)を立ち上げました。

原発は危険

政治的に右とか左とかでなく、誰が見ても原発は危険でばかばかしいものです。東日本大震災の福島原発事故で空中に飛散した放射能は広島に落とされた原爆の168倍にもなります。原発は地震に弱く、今の日本では地震活動が活発化しています。活断層のないところでも地震は起きています。また、原発はテロに対しても極めて脆弱です。2、3時間の電源喪失でメルトダウンしてしまうのです。いったんメルトダウンすれば終わりというとてつもなく危険な原発で日本を守るというのは論理矛盾です。平気でこれを主張できる人たちは、お金と自己保身のために言っている、「今だけ、金だけ、自分だけ」の人たちです。対立軸は右か左かではなく、金と自己保身の人たちと、そうではなく普通に平和に暮らしていきたいという人たちとなんです。

原発はコストもかかる

原発は中途半端に維持すると最もコストがかかります。やるかやめるかのいずれかでコストは下がる。やめる方がよりコストは下がり、電気料金は安くなります。まず、維持費が不要になります。もっと問題なのは事故のコストと保管のコストです。今回の福島原発事故処理の総額は21兆円になりましたが、日本経済研究センターの試算では実態は50~70兆円、あるいはそれ以上になるとのことです。ただし、今、補償の対象となっているのは、現在の人たちですが、事故の影響は長く残り、将来生まれてくる人たちの権利も侵害され、不利益を招いています。その補償まで入れればコストはもっとふくらみます。さらに廃棄物処理の問題があります。使用済核燃料は一基の原発で一日で広島の原爆の3発分出ますが、それを10万年後まで置いておかねばなりません。この処理や保管の費用(バックエンドコスト)も、後世につけをまわしているだけでコストにカウントしていないのです。地下は全部マグマという日本にはそもそも保管場所もありません。リスクがかかってコストも高いのです。

原発は環境にも良くない

再処理で最終的に出る高濃度放射性廃液、これが非常に問題です。これはずっと冷却しておかないと沸騰して飛散する。1立方メートル飛散すると一つの県が住めなくなるくらいですが、これが今、東海村と六ケ所村に635立方メートル保存されていて、停電事故も起きています。怖い話です。こういう高濃度の放射性廃棄物を処理する過程で出る放射能は空中・水中に放出されている。再処理工場は実はとてもローテクで環境負荷の高い、最大最悪の環境汚染産業なのです。そして使用済み核燃料は六ケ所村はじめ全国の原発でもうすでに満杯です。

自然エネルギーは低コスト

現在、太陽光発電の発電コストは1キロワットで2円を切りました。風力発電も2~3円で可能です。パネルコストや工事費が下がるなどの技術革新が進み、私の計算では、人件費を除けば、自然エネルギーの発電コストは1キロワットで10円を切っています。一方、原発のコストは経産省は10円と言っていますが、バックエンドコストなどいろいろ入れれば無限大です。

自然エネルギーで経済は再生する

ですから、中国はじめ、世界では自然エネルギーは非常な勢いで伸びています。2011年には、太陽光・風力発電の発電量は原発の数分の一でしたが、2017年末には2.5倍になっています。これだけ伸びるのは、コストが安い、もうかるからなのです。世界の金融大手の投資先にもなっていますし、事業運営の自然エネルギー100%調達をめざす「RE100」には世界の大手企業が加盟しています。日本ではどうかというと加盟できない。経産省が自然エネルギーの普及を邪魔しているからです。原発を推進するために、自然エネルギーを送電線に接続させないのです。

自然エネルギーはものすごい可能性を持っています。日本は太陽光、風力、地熱、潮力どれにも恵まれています。まず、農地を使って発電できます。今、日本の農地は460万ヘクタールで、50万ヘクタールくらいが耕作放棄地になっています。農地の1/3に太陽光発電の構造物を作って直射日光を防ぎ、2/3で耕作する「ソーラーシェアリング」という方法がありますが、これは作物の生育も進めることが実証されています。発電価格と作物の増収とで、農業者の収入も大幅に増えるはずです。若い世代が農業に参入し、地域の活性化、少子高齢化対策にもつながります。

デンマークやドイツでは協同組合で会社を作って発電し、地域を活性化していますし、アフリカでも砂漠でソーラーシェアリングを行って緑化と農業の両立が進んでいます。日本でも、ソーラーシェアリングを進めることで、地域が活性化するとともに、エネルギーの自給自足ができるはずです。また、地方にそうした発電のための設備投資もされ、経済成長につながります。

原発は早く止めるにこしたことはありません。電力業界は現在10兆円の資産価値を持つ原発を止めたくはないのでしょう。しかし、バブル崩壊の折には、110兆円の不良債権が発生しましたが、その後日本経済は回復し、銀行もなんとかなっているのです。国鉄民営化では37兆円の処理がされましたが、それに比べれば原発の方向転換などどうということはない。むしろ廃炉の特需も生じます。そのうえで自然エネルギーの方向に地方が発展してゆけば、地方も銀行も誰も困りません。ここで方向転換すれば、誰もが幸せに豊かに暮らせる社会になると思います。(拍手)

講演を聴いて

城南信用金庫のパンフレットの表紙は「ソーラーシェアリング」です。吉原さんのお話からは、「今だけ、金だけ、自分だけ」のような個人の儲け追求ではなく、まともな産業を通して地域・経済を再生してゆき、まともな社会を次世代に引き継いでゆくのが公益事業体で働いてきた金融人の使命であり、喜びだという熱い思いが伝わってきました。

原発ゼロ基本法案の成立を

「脱原発をめざす女たちの会」の呼びかけ人である大河原雅子衆議院議員(立憲民主党)からも発言がありました。この3月に立憲民主党や共産党、社民党、自由党で提出した「原発ゼロ基本法案」は、単なる原発ゼロだけでなく、社会変革を実現するためのものでもある、ただちには通らないかもしれないが、全国でタウンミーティングを開き、声をあげる人たちを増やしながら何度でも出してゆきたい、とのことで決意が述べられました。
脱原発をめざす女たちの会 結成6周年集会の報告
3月16日 国道6号線沿線のフィールドワーク

2018年3月16日、県民集会の前日、「さようなら原発1000万人実行委員会」のマイクロバスで東京から福島に向かった。いわき市から海沿いの国道6号線を北上しながら被災地の現状を見学するためだ。

まず、いわき市の日本キリスト教団常磐教会にある食品放射能計測所「いのり」を訪問。「いのり」の運営委員をされている秋山胖さんと計測員の佐藤文則さんに迎えられ、説明を受ける。教会は地震で全壊したが、7年前に再建。双葉町の集会所としても使っているとのこと。食品計測の持ち込みは以前よりは少なくなっているが、今年もタケノコを5か所で計ったところ、2か所は放射能の数値が高くて食べられないものだった。

教会の一隅にある食品計測所は、自然放射能の影響を押さえ機器の精度を上げるためにコンクリート壁で囲まれている。計測の申込みは24時間受け付けていて、建物入口のポストに、検体(食品、土、液体)と申込書を入れておけば無料で計測してもらえる。ヨウ素131、セシウム134,137、カリウムを計測している。ここでは安全かどうかの判断はしていない。3~4年前には土から数万ベクレルの放射能が出た、とのこと。「不安な気持ちに寄り添うため」の活動が続けられている。

その後、秋山さんの案内で、小名浜港から塩野崎灯台を回り、国道6号線を北上する。塩野崎灯台下では家が流されたあとが更地になり、二重の堤防と防災林が作られていた。広野町―楢葉町―大熊町―富岡町―双葉町と北上するにつれ、車内で仲間たちが持ち寄った線量計の数字が上がっていく。0.1から0.5、1.36、1.57という数字も読み上げられる。

傾いたままの家、人は通れず、車のみ通行できるが車外に出てはいけない区間だ。フレコンバッグが山積みされている。JR常磐線の富岡駅は新しい駅舎が建っていたが、人の姿はない。富岡駅から浪江間は不通のままだ。浪江町から南相馬市へ。宿舎は相馬市の温泉宿「蒲庭館」。作業員の人たちが多く泊まっているようだった。

翌日、3月17日は県民集会の会場である楢葉町天神岬スポーツ公園に向かって国道6号線を南下する。南相馬市小浜地区の太田川河畔に建つ東日本大震災慰霊碑にお参り。ここは20mの津波に襲われ、7人の方が亡くなった。浪江町へ。フレコンバッグの仮置き場があちこちに作られている。帰宅困難区域の直前の立ち入り禁止区域にはガードマンが建ち、中間貯蔵施設が建設中。請戸地区を通ると、1階が吹き抜けになってしまった廃屋や瓦礫の山。請戸小学校がポツンと建っている。動いているのは工事用車両とクレーン車ばかり。請戸漁港には漁船が停まっていたが、漁はできているのだろうか?高台に新しい墓地が作られていた。津波の時、ここに逃げて来て助かったのだそうだ。昨年の3月11日にやっと建立された「浪江町東日本大震災慰霊碑」には182名の名前が刻まれていた。

双葉町に入ると、線量計の数値がまた上がっていく。無人の街に椿と白梅が咲いている。大熊町の第一原発建屋前のモニタリングポストの電光掲示板には2.329という表示が出ていた。大熊町役場入口はバリケードでふさがれていた。富岡駅の周りはフレコンバッグの山とゴミの仮設焼却施設があり、焼却炉から出る煙が立ち上っていた。第2原発前を通り、楢葉町の集会場へ向かう。

3月17日 2018原発のない福島を!県民集会

楢葉町は2015年9月に避難指示が解除された。会場の天神岬スポーツ公園は海のそばの広々とした公園だ。海風を受けながら、「日音協」の歌と「ならは天神太鼓」の演奏で集会は始まった。

実行委員長の角田政志さんが開会のあいさつ。「被災地楢葉での開催にはさまざまな意見があった。県民にはさまざまな選択があり思い悩みがある。原発災害の過酷さを見て欲しいとあえて楢葉での開催に踏み切った。集会の目的は、このすぐ近くにある福島第二原発の廃炉の実現だ。105000筆の署名を提出した。」

続いて鎌田慧さんが連帯のあいさつ。「安倍内閣を打倒できていないことに責任を感じている。原発には結論が出ているにもかかわらず、再稼働・輸出を進める安倍内閣、民主主義破壊の内閣を倒そう」と熱く訴えた。

呼びかけ人から武藤類子さんのあいさつ。「帰還・復興・未来などポジティブな言葉が飛び交っている。福島県は避難者を早くゼロにしたいと。しかし、帰還後の生活施設の整備は不十分で治安の問題、野生動物の問題がある。帰還政策は正しかったのか?国連人権理事会の日本審査では、「避難者の人権状況を改善するように」という勧告が出されている。原発敷地内の汚染水タンクは900基を超え、汚染水を海に流すしかないと自治体を説得しているが、漁業者や県民は70%が海への放出に反対している。甲状腺ガンは県民健康調査で196人に見つかっている。高校生の第一原発廃炉作業見学には驚いたが、大学でも行われている。他方、原発裁判では京都・東京の判決で国の責任が認められた。昨年6月の刑事裁判初公判で証人尋問が始まっている。この集会の楢葉町での開催には、個人的にも批判を受けた。復興事業を後押しするものだと。また、実際に身を置いて被害を感じたいという声もあった。原発事故後の世界を生きるということは、さまざまなくるおしい世界を生きるということ。分断されずに力を合わせていきたい。」武藤さんの言葉の一つひとつが胸に沁みた。

県民からの訴えの最初は、浪江町つしまから福島市に避難している三瓶春江さん。つしま原告団として裁判を行っている。海岸から離れているので津波の被害はなかったが、原発事故で、帰還困難区域となり、鍵を開けてもらわなければ墓参りにも行けない。4世代10人で同居していた家は荒れ果てている。私たちは元通りになっていないのに、なぜ原発の再稼働ができるのか。原発事故で国は国民の命最優先にはしなかった。3月14日に3号機が爆発しても避難指示は出なかった。家族は6カ所に分かれ6年間避難生活をしている。子どもたちは避難先でのいじめに遭い、浪江町つしまから来たと話せない。どんな目が向けられているか、いつも不安だ。裁判へのご理解をお願いする。」

つづいて二人の高校生平和大使からの訴え。核の被害は過去のことではない。明日起こるかもしれないこと。核兵器廃絶を願っている人々とスイスで交流した経験を活かして、自分の考えを持って、知ること、発進することをやっていきたいと。また、長崎・広島で被爆者の話を聞き、日本は平和だけど本当の平和なのか?核の傘に守られた平和なのではないか、と言われた。伝えてくれたことに心を揺さぶられた。憲法が改正されて戦争ができるようになったら、被爆者の思いはどうなるのか。核の平和利用は絶対NO!核廃絶まで自分のできることを続けていく、との力強いメッセージだった。

最後に集会アピールを採択して、2時間ほどの集会を終えた。集会途中で、司会から、「JR竜田駅から帰る人はバスがすぐに出ますから、立ち上がって急いで下さい」とのアナウンスがあり、移動手段など厳しい条件の中で開催された集会であったことがうかがわれた。参加者は3300人と発表された。海の見える展望台に上ってから会場を後にした。
賛同人の方へお願い 2013年12月
脱原発をめざす女たちの会から土井登美江さんが、ソウルで開催された「日韓市民平和シンポジウム」に報告者の一人として参加しました。以下はその報告です。

「朝鮮半島の平和と日本の平和憲法守護のための日韓市民平和シンポジウム」に参加して

3月13日、韓国・ソウル市の市庁多目的ホールで「日韓市民平和シンポジウム」が開催されました。主催は韓国側が、2016年キャンドル革命をけん引した市民運動の後継組織である「主権者全国会議」と「ソウル大学校平和統一研究院」、日本側は「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」。

主題は、1、朝鮮半島の戦争危機の阻止と日本の平和憲法を守護するための日韓市民社会の協力をどう実現するか、2、北東アジアの平和体制構築のための日韓の市民平和運動の役割と国際協力のあり方の2つ。会議は午前10時から午後6時まで、同時通訳を駆使してスピーディーで内容の濃い会議であした。私は日本側実行委員会の参加団体のひとつとして会議で報告しました。

会議は閣僚経験者の歓迎の言葉ではじまりました。基調講演では日本側は「九条の会の歩みと役割、そして展望」と題して小森陽一さん(九条の会事務局長、東京大学教授)が行いました。韓国側はイ・ブヨンさん(東アジアの平和会議代表)が「朝鮮半島の平和と東北アジア共同体」のテーマで行いました。

つづいて3つのテーマのセッションで報告と簡単な討議がありました。第1セッションは「韓日の市民運動の現況」、第2セッションは「北東アジアの平和体制構築方案」、第3セッションは「日韓市民平和運動の課題と協力方案」です。私は第2セッションで発言しました。

第2セッションでは、主題発表が川崎哲さん(核廃絶国際キャンペーン<ICAN>国際運営委員)で、「核兵器禁止条約の意義と東アジアの非核化の課題」をテーマに報告がありました。韓国側はソ・ボヒョク(ソウル大学校)が「韓半島の非核化と北東アジアの平和体制」を報告しました。北東アジアでは核兵器の危険性が高まっているからこそ親交と連帯が必要だということが強調されました。私は、脱原発をめざす女たちの会について簡単に紹介した後、福島の原発事故による被害の状況を紹介しました。そして核兵器だけでなく脱原発が核廃絶のために欠かせないことを訴えました。

会議では、最後に「日韓/韓日市民の平和宣言」を採択して終了しました。おりから平昌オリンピックをきっかけにして南北会談や米朝会談の準備が急速に進んでいます。会議に参加して、どのような平和をつくれるのかは市民の連帯のあり方と深く関わっていることを感させられました。

土井登美江

脱原発をめざす女たちの会 結成6周年集会の報告
 2017年11月25日、結成6周年集会を在日本韓国YMCAホールで開催した。今年のテーマは、「被災者には補償を!東電経営者には責任を!繰り返させない、原発事故」。2017年3月末で自主避難者への住宅支援が打ち切られ、山形では立ち退き訴訟まで起こされている。一方3月の前橋地裁判決で、東電と国の過失を認める判決が出され、当時の東電経営者3人に対する刑事裁判が始まるなど、福島原発事故を終わりにさせないたたかいも粘り強くとりくまれている。

 そんな中で、福島原発告訴団団長の武藤類子さんと、自主避難者に寄り添って支援を続けてきたフリーライターの吉田千亜さんをお招きしてお話を伺った。司会は多摩市議会議員の伊地智恭子さん。


武藤類子さんのお話し
-「福島原発事故の責任を問う刑事裁判が始まった」


 2017年6月30日、福島原発事故の刑事裁判初公判には700人の傍聴人が詰めかけた。2012年に福島地検に告訴して以来、東京地検に移送され全員不起訴となったが、検察審査会が2015年7月に2回目の起訴相当の判断を下し強制起訴となった。

 被告は東電の元幹部3人、初公判でそれぞれ無罪を主張し次のように述べた。  勝俣恒久元会長、「会長職には業務執行権限はない。原子力や津波の専門知識はなかった。だから責任はない。」

 武藤栄副社長、「大津波が来るというシミュレーションは試しの集計で、本当に来るとは思わなかったので対策をとらなかった。だから責任はない。」

 武黒一郎元副社長、「大津波の試算は検討を任せていたので詳しい記憶はない。専門家として補助する立場で権限はない。だから責任はない。」開いた口がふさがらないようなあきれた言い分だ。

検察官役の指定弁護人からは以下のような冒頭陳述を行った。2002年には、福島第一原発に10mを越える津波が襲う危険を予見することが可能だった。

2008年には東電の子会社が15.8mの津波が来るという予測も立てていた。福島第一原発は海面から10mのところに建てられているが、原発を取り囲むように10mの防潮堤を造る計画が立てられていた。これが造られていれば津波被害は防ぐことができた。しかし、これは造られなかった。対策費用を惜しんだ経営陣が握りつぶしたのだ。

 これから証人・証拠調べに入っていく。
ぜひ「福島原発刑事訴訟支援団」に入って下さい。
(支援団の連絡先等は末尾に記載)

 福島の現状は何も終わっていない。まず、大量の汚染水が溜まり続けている。原発敷地内には1000トンのタンクが1000基ある。当時の田中原子力規制員会委員長は「なぜ早く海に流さないのか。一番の障害になっているのは福島県民でしょ」と発言した。福島の海水浴場がどんどん解禁になっているのが心配だ。また、事故の時にベントに使った高さ120mの排気塔の鋼材が破断し倒壊の危険が迫っている。2013年以降、東電が規制委から求められている倒壊に係るリスク評価は未だ提出されていない。東電は「1年1回目視している」と言っている。

 2017年3月末で、放射線量が20ミリシーベルト以下になったからと言って避難指示を解除された区域が多くある。法で定められた年間1ミリシーベルトには下がっていない。避難指示を解除された区域の避難住民に対する住宅無償提供が打ち切られ、精神的損害賠償も次々に打ち切られている。健康被害についても実態はあきらかにされていない。県民健康調査に報告されなかった甲状腺ガンの子どもの例がある。

 そんな中で、復興をアピールする事業が次々と起こされている。2016年7月にオープンした福島県環境創造センターでは、交流棟(コミュタン福島)で子どもたちへの放射能教育が行われている。大型モニターに「目に見えない」放射線を「見える化」したとする映像を映し、子どもたちに放射線に向かってグー・チョキ・パーを出させる、「ベータ線をチョキで防ぎましょう」などというとんでもない教育が行われている。

原発事故後初めての高校生の福島第一原発の構内見学も行われた。16歳の女性もいた。福島大学も構内見学を授業に取り入れることになったという。飯館村・村議会・福島大学が協定を結び「復興連携プログラム」を実施すると言う。飯館村には田や畑にフレコンバッグが積み上げられているというのに、学生が村内で地域おこしに取り組むと。福島県イノベーション構想など、福島原発事故をなかったことにするような復興計画が進められている。その中での人権侵害に声をあげていかなければならない。

福島原発刑事訴訟支援団に入って下さい。
http://shien-dan.org/
TEL:080-5739-7279 e-mail:info@shien-dan.org
カンパ 郵便振替口座 02230-9-120291 福島原発刑事訴訟支援団


吉田千亜さんのお話し
「消されゆく被害、避難者の貧困、除染打ち切りの福島」


 原発事故の被害って何かと考える時に大切なことは、①被害とは何か、それは土地・コミュニティ・暮らしだけではなく、夢や未来など続くはずだったものが断ち切られたこと ②被害を誰が決めるのか、暮らしや土地、夢や未来が奪われたと思えば、そう思うみんなが被害者ではないか、ということ。政府が被害の基準とする年間20ミリシーベルトってなんだ? もともとは一般公衆の被ばく限度は年間1ミリシーベルトという規制があった。

それは内部被ばくと外部被ばくの合計だが、原発事故後に内務被ばくは無視され、外部被ばくだけで大人も子どもも年間20ミリシーベルトまで被ばくしてもいいことになった。2011年の事故直後に学校の校庭で、3.8マイクロシーベルトでも利用可とされたが、それは事故前の10倍の数字だった。放射線業務従事者の年間被ばく平均は0.22ミリシーベルトで、福島県ではその100倍が一般公衆に許容されている。

 郡山市や白河市で実際に測定したホットスポットを示す。「除染で数値は下がるというけれど・・・」下がっていない場所がある。(2015年から2017年の測定場所と数値を示す。)
除染で出た汚染土壌の詰め替え作業が公園で行われている。公園は立ち入り禁止にはなっていない。2017年4月以降、除染計画も縮小され、昨年度まではホットスポットを役所に通知すれば除染していたが、今年度からはやってくれなくなっている。

 政府や県は事故が終わったことを示すためには、フレコンバッグをなくすこと、避難者がいなくなること、町に人が戻ること、だと考えている。そのために、2017年3月以降、避難者数が減らされている。借り上げ住宅から退去した人で、自力で家賃を支払って避難退去している人が市町村の窓口で削除されている可能性がある。避難者数を施設別に数えているため、借り上げや仮設住宅の退去によってどうなるか?避難者数は被害の規模を示し、少なく見せることで復興が進んでいることにするということ。
 避難者とは誰か? 復興庁は、「避難者とは、東日本大震災をきっかけに住居の移転を行い、その後、前の住居に戻る意思を有する者です(2014年8月)」と述べ、「避難指示区域の町民・村民、自主避難区域の場合、住民票を移動せずに住まいを移した人」と規定している。

しかし、避難者や世間の認識は「原発事故により避難した人」であり、「戻る」「戻らない」に限らない。避難者は個別の経済事情や家族事情を抱え、時間の経過もあり、現在地がバラバラだ。避難者支援とは生活困窮支援であり、住宅費は打ち切らないことしかありえなかった。立ち退き訴訟にあった避難者は、被害者である自分が被告席に立たされることについて、「性被害に遭った人ってこんな気持ちなんじゃないか」と語っている。避難の協同センターの事例では、ハローワークでの住居確保給付金や生活保護、地域社協での支援やフードバンクなどで支えている。

 国の描く復興とは、「帰る人」が「良い住民」、「寄り添う」という言葉の裏で排除される人びと、「まだ帰れない」「もう一度除染して欲しい」「借上げ、仮設にまだ住んでいたい」「解除は時期尚早」「被ばくしたくない」という声を無視する。「帰る」と「帰らない」の間の「待つ」支援・保障や制度づくりがない。多様性がない。「帰らない人は住民ではない」と避難を移住と決めつける。「あと〇年は避難したい」に対して、猶予を設けず一斉に行う。「人」より「予算・箱もの」、「希望の言葉で被害を隠す。

 問われていることは、原発事故の影響は長期かつ広域であり、それにどう対応するかということ。判断を「待つ」支援が必要である。二者択一ではない「第三の道」が必要である。たとえば、二重住民票(日本学術会議)やふるさと住民票(日本構想)という考え方もある。子どもを守ることと、復興を分けて考えて欲しかったと思う。

 武藤類子さんと吉田千亜さんのお話は、具体的で切実な課題をわかりやすく伝えて下さった。もっと聞きたい、深く知りたいと思うお話だった。

 このあと、集会に参加できなかった福島みずほさんのビデオメッセージが紹介され、集会を終えた。集会の参加者は90人。もっと多くの人に聞いて欲しい内容だった。2020年東京オリンピックに向けて、福島原発事故は終わったという「復興」キャンペーンが大々的に繰り広げられるだろう。その中で進行する健康被害・人権侵害にきちんと目を向け、被害者には補償を、事故責任者には責任をとらせていかねば、という思いをあらたにした集会だった。
賛同人の方へお願い 2013年12月
2017年3月17日、翌日の郡山市での「原発のない福島を!福島県民集会」参加に先立って、いわき市で石丸小四郎さんの「福島原発事故徹底講義」のお話を伺った。参加者は11人で、もったいないような中身の濃い講義だった。石丸さんは双葉郡富岡町からいわき市に避難されている。

最初に石丸さんから講義にあたっての心境が次のような言葉で語られた。原発震災当時、福島第一原発から7キロのところに住んでいた石丸さんの体験である。

「2011年3月11日、14時46分、私は薪ストーブの前にいた。何の前触れもなく激しい揺れに襲われ、ヤカンがダダダダッと激しい音を出し続けた。短周期地震動のせいなのかヤカンはストーブからおちない。とっさに火事を恐れ蓋を取りお湯を注ぎ込んだ。とにかく長く強烈な地震動がこれでもかこれでもかと続いた。

次の瞬間『短周期地震動だ。原発がヤバイ!』との思いが頭をよぎった。構造物には固有の揺れやすい周期がある。原発の周期は0.1秒から0.5秒の範囲にあり『原発はビビり振動に弱い』との思いがあったからだ。

これはのちの話だが、原子炉建屋にいた労働者が激しい揺れとともにコンクリート壁がブチブチ、ブチブチの音とともにひび割れ、建屋内部が白い幕で覆われたと語っていた。次いで、防災無線の緊迫した声で津波警報が発せられた。その日の21時ごろに原発から半径3キロ以内の住民に避難、3キロから10キロ以内には屋内退避の指示が出た。

これが終わりの見えない『原発複合災害』の始まりであった。 私は、『これまで原発ほど不条理で差別的で世代間不公平があるものは他にないと思い主張してきた』目にも見えず、臭いもしない、味もしない放射能によって、何の落ち度もない人びとがすべてを捨てて故郷を去り、子どもまでマスクをして逃げ回らなければならない。逆に、それを造り最も熱狂的に推進してきた人々が安全地帯にいて『ただちに健康に影響はない』と語っている。さらに原発から遠く離れ恩恵を享受してきたであろう人々の中に原発を増やす、現状程度と思う人が相当程度いるという。この現実を前に言うべき言葉もない。」

石丸さんたちが20年近く月刊で発行し続けている情報誌「脱原発情報」の3.11原発事故前の記事を見せてもらった。そこには福島第一原発がどんなに危険な状態であるのかが具体的に記載されている。たとえば、2010年11月28日発行の125号には、原子力安全・保安院(当時)の公表資料をもとに、「福島第一原発ダントツの被ばく線量、プルサーマルでさらに増大」と、福島原発で働いている労働者の被曝線量が全国の原発で働く労働者の被曝総量の約40%に達していると伝えている。また、同年4月以降に、電源喪失で原子炉が緊急停止したなどの重大事故が主なもので9件起きているという報告もある。さらに同年12月26日の126号では、福島原発の10基中7基が原子力安全・保安院の安全評価でレッドカード直前の「重要課題あり」評価を受けたと知らせている。すべては安全軽視で利益第一主義の東電の経営姿勢によるものである。

石丸さんのお話から、福島第一原発事故は完全な人災であることをはっきりと再認識することができた。そもそも日本列島には2000の活断層があり、世界の地震の20%が起きている。東北地方は100年に一度大地震と津波に襲われている。そこに東電が作った第一原発は、基礎版(原子炉の底面)が海抜マイナス1.32m、海抜30mのところを20m掘削し、さらに10m下げて造った。建設地は戦時中の飛行場跡地で、川筋で土地は湿潤、泥土で崩れやすい。50年前の当時、あんな所に原発を造れるのかと、佐伯正治元東電福島原発建設所長は言っていた。

全電源喪失し3基がメルトダウンした事故は人類初の経験で、推定600キロの燃料が落ちてメルトアウトしたものと思われる。事故当時、イソコンという非常用冷却装置があるにもかかわらず使い方がわからなかったのだと、東電元所長の証言がある。使い方の訓練をしていなかったのだ。その結果ベントにより排気塔から高濃度の放射能が大気中に放出された。3月12日に1号機が水素爆発し、3月14日に3号機が水素爆発した。爆発の映像写真を見ると、爆発による蒸気の上がり方に差がある。3号機の爆発の方がものすごい。これは、3号機でMOX燃料を使ったためではないかと推測している。事故の原因はまだまったく解明されていない。

福島第一原発の廃炉作業は大変な困難に直面している。過酷事故は終わっていない。 敷地内約320㎡のすべてが放射性廃棄物に覆われている。水問題など10の難問に直面している(10の課題の詳細はHP掲載の2016年11月19日集会報告の石丸さん講演を参照)。タービン建屋には超高濃度汚染水が溜まっており、地震・津波の深刻なリスク源となっていて、早急な抜き取りが必要である。345億円の国費を投入した陸側遮水壁は速い地下水の流れと埋設物で凍結せず、失敗に終わっている。石丸さんは、第一原発の敷地外に阿武隈山系の1日当たり1億トンの地下水流入を防ぐ遮水壁を造れと提唱している。除染で出た汚染土を入れたフレコンバッグは横に並べれば地球1周よりも長い。野積みされたまま劣化してきている。

県内のお母さんたちへのアンケート調査で回答された心配なこととして、健康不安、子育て不安、経済的負担、補償の不公平感、正しい情報の不足、配偶者や両親・周囲の人との認識のズレなどがあげられた。住民の分断が進められ、さらに「人が生活できる場所ではない」ところへの帰還政策がすすめられている。嘘の限りを尽くして原発を造り、事故を起こしたあげくの理不尽さに怒りが込み上げると、石丸さんはお話を締めくくった。石丸さんのお話を聞きながら、人災に対する責任をとった者が1人もいないという現状は許されない、何としても刑事責任をとらせなくては、と強く思った。
福島県民集会記事
3月18日朝、快晴で風が強い中、いわき市をバスで出発し、郡山市の開成山陸上競技場で13:15から開かれた県民大集会に参加した。集会は全員起立し、被災で亡くなった人への黙祷から始まった。

≪挨拶≫

★実行委員長の角田政志さんの挨拶。
オール福島でやっているこの県民集会は、2市、8町、2村及び地元の各新聞、放送のメディアの後援を得て行っている。いまだ8万人避難をし、被災者への偏見、いじめ、差別が続いている。原発事故の責任を、国と東電が押し付け合っている中で、昨日(3月17日)は前橋地裁で、国と東電の双方の過失を認める画期的な判決が出た。この判決を広め、国民、県民に署名集めなどをし、闘いをさら強めていく。 ★呼びかけ人挨拶は、アウシュヴィッツ平和博物館長の小渕真理さん。

三春町に「コミュタン福島(環境創造センター)」が、1017年7月にオープン。そこではふくしまの環境回復、創造に向かうため、放射線学習や体験研修が行われている。見学後は誰も放射線は怖くない、脱原発の必要はないと思わされる。私たちは、過去から学ばなければならない。いま安倍政権によって、さまざまな権利が奪われている。いろいろな人たちが共に、「原発はいらない」という1点で繋がっていきたい。

★特別ゲストは、さよなら原発1000万人署名の香山リカさん。
私は精神科医師です。福島で働く人たちからの電話相談も多く、うつ病の人たちもいて苦しんでいる。一方で国は被害にきちんと向き合おうとせず、経産省は「Fukushima Today」の明るいテレビCMを放映している。昨日は沖縄にいた。沖縄ではいくら「民意」を見せても、国はそれを踏みにじっている。福島は全国、全世界から広範な「民意」支持を受けている。福島から始まる「脱原発」に、心から連帯の挨拶をします。


≪県民からの訴え≫

★浪江町長 馬場有さん
今日は、震災から2,200日目。原発事故の負の遺産は数十年、数百年と続き、暗い影を残している。昨日の前橋地裁の判決は、津波は予見できたのに対策をしなかったと指摘した。真の原因究明がされなければいけない。信用が出来ない原発とはつきあってはいけない。①すでに決定している福島第一原発の廃炉を、完全に安全に実施する、②福島第二原発の廃炉を実現する、③日本の脱原発を福島から、この3つを目標にやっていく。

★大熊町 渡辺千恵子さん
7人家族で、震災の翌朝12日にワゴン車でひたち市に避難した。1時間のところが5時間かかった。長男は消防士として働いていたので、再会できたのは3ケ月後、父は、震災の翌年亡くなった。いま県外に避難している人たちには、3日おきに福島の新聞をとる人、死亡欄を読むという人、1日おきに手入れに家に帰る人、家は他に建てたけれど大熊に戻りたい、という人などいろいろである。

★だっぺ(DAAPE)の会 佐藤大河さん
福島市に住む。だっぺの会(DAPPE=Democracy Action to Protect Peace and Equality=平和・平等な社会を守るために行動する若者グループ 10~30代)の会のメンバーです。いま被災者が帰還しないことが、復興の妨げなっているという圧力がある。だっぺの会では、県内の若者と対話をし、353人の若者が語ってくれた。最初は電力不足を不安に思っていた若者たちも、気づいてきた。会話を重ね、可視化していくことが大切と実感。政治を人まかせにしないで、1人1人の行動が社会を変える。原発ゼロの未来を自分たちの手で作っていきたい。

「集会アピール」は、5,700人の参加者の拍手で確認され、県内、県外からの参加者の2つのコースに分かれ、市内アピール行動を行った。
「日本と原発」上映と古賀茂明さん講演会
福島の現実に向き合い、原発再稼働を止めよう!

2016年11月19日、星陵会館にて、「福島の現実に向き合い、原発再稼働を止めよう!」と題する集会を行った。当日は、戦争法に反対する総がかり行動実行委員会の国会前集会と重なったために参加者は90人と少なかったが、3人のゲストの中身の濃いお話と、福島から避難しているシンガーソングライターYUKARIさんの熱唱で、充実した集会となった。

集会の司会は、桜井純子さんと武市香織さん。
石丸小四郎さん、千葉親子さん、石川賢治さんのお話を以下に紹介する。

「過酷事故5年8か月後の今」
石丸小四郎さん(双葉地方原発反対同盟代表)のお話

 
石丸さんのお話は、2011年3月11日、福島第一原発を襲う津波の生々しい連続写真から始まった。 津波の波頭は120mの排気塔の半分まで到達した。福島第一原発の基礎版(原子炉の底)は、海抜マイナス1.32mで、アメリカ東部海岸のハリケーンのみを警戒した設計だった。

送電線鉄塔の倒壊が全電源喪失事故の始まり。非常用ディーゼル発電機は高さ4mの巨大なものだったが、津波に飲み込まれて全電源を喪失し、3基の原発がメルトダウン(核燃料が圧力容器に落ちる)した。


過酷事故は終わっていない。

1)第一原発の敷地約320万平方メートル(東京ドーム68個分)がすべて放射性物質。
最終処分場の目途は立っていない。アメリカではラスベガスから約160キロ離れた砂漠地帯のユッカマウンテン処分場建設も危険だとして、オバマは中止命令を出した。

2)”水・水・水“に翻弄され続けた5年8ヶ月。地下水1日1千トンが流れ込み、建屋へ1日400トン流入している。汚染水は1日300トンに達する。第一原発敷地は河川が幾筋も流れ、水が集まる場所。50年前、原発敷地は泥田状態だった。沼のような場所であることを東電は知っていた。海抜より低い場所に建屋がある。海を海岸から131m埋め立てて原発を作った。

3)融けた核燃料の塊(デブリ)880トンの存在がわからない。デブリは257トンと思われていたが、コンクリートで880トンになっている。政府は、デブリ取り出しが困難と言い始めた。「石棺にする」と言及したが、大量の地下水が流れ込み、汚染水を出す場所で?

4)15389体の使用済み核燃料が残り続ける。ペレット1個の死の灰の総量は約50~60兆ベクレル、約3万~5万人をガン死させる。

5)汚染水対策の切り札である遮水壁は風前の灯。 汚染水を氷の壁で囲む陸側遮水壁は、“速い地下水”と埋設物で凍結せず。国費450億円と電気代年30億円を注ぎ込んだが、7年しか持たないという。 6)敷地内の汚染水タンクは1000基を超える。 タンクの幅12m、高さ11m、これをドラム缶にいれ横に並べると約2700キロメートル、日本列島の長さを越える。 7)ガレキ総量26.4万トンが放射線を出し続ける。

8)ALPS(アルプス)等7系統で処理した廃液容器は約1960本、これからも増え続ける。

9)スカイシャイン現象等何が起きるか、わからない。環境に放出される放射性物質は、毎時3万ベクレル前後と発表されている。労働者の被ばく線量が上昇しているが、東電は原因を答えない。第一原発から水蒸気や熱気が出ている。スカイシャイン現象とは、上空に放射線が放射されたときに、空気中の気体や水蒸気の分子(原子)などにぶつかり、反射されて広く地上に降り注ぐ現象。

10 余震・津波の「リスク」源は拡大し続ける。余震で4本の120mの排気塔が倒壊する恐れ、建屋(燃料プール)が傾き、汚染水で液状化の恐れ、最悪の場合、再臨界・水蒸気爆発も。

11 「廃炉処理」何年かかるか、わからない。廃炉作業に従事する労働者は、低賃金・被曝・病気・明日が見えない暮らしで、登録者55千人のうち、現在働いているのは8千人。高齢化。人手不足で外国人労働者の受け入れや偽装請負などが増える。イギリスのタイムズ紙は、東京電力要人の発言として「事故を起こした3つの原子炉の廃炉について、それに必要な技術は今はまったくないし、そのような技術がいつどのように開発されるか、自分は知らない。200年かかるかもしれない」と伝えている。


原発は決して動かしてはならないー事故の深刻さ10の特徴

1)複合災害として原発震災が現実となった。
2)多数の原子炉が連鎖的に爆発し、広範囲に深刻な放射能汚染をもたらした。
3)多数の原発事故関連死をもたらした。
4)被曝により健康被害のリスクを拡大させた。
5)陸と海の放射能汚染により暮らしに深刻な被害をもたらしている。
6)高レベル、低レベルの放射性廃棄物の処理と捨て場所がまったく決まっていない。
7)事故処理の目途がまったくたっていない。
8)事故処理のため膨大な被曝労働が必要となっている。
9)数十兆円以上の損失をもたらしている。
10)さまざまな社会的分断・対立をもたらしている。

誰ひとり責任をとらないことは許されない。


「多発する甲状腺ガンの現状」
千葉親子(ちかこ)さん(3.11甲状腺ガン家族の会元代表世話人)のお話


放射線被ばく線量世界基準の20倍の20ミリシーベルト以下の自治体で帰還が進められ、2017年3月には、帰宅困難区域外の避難指示解除、自主避難者への住宅支援の打ち切りが示されている。甲状腺ガンや避難や保養の話をすると、「まだそんなこと言ってるの?」「大丈夫だと言ってるよ」と言われ、声に出しにくくなっている。不安に向き合うこともできない空気が蔓延している。


福島県内の甲状腺ガンの現状

 2011年から始まった県民健康調査の一巡目で、「甲状腺ガン又はガンの疑い」と診断された子どもは115人。2014年からの2巡目で59人。2016年6月30日現在174人と報告されている。3巡目を前に「過剰診断」「潜在ガンまで見つけている」と検査の縮小案が浮上しているが、県民健康調査検討委員会では10年は続けるべきとの意見が大勢だった。

 県民健康調査委員会で星座長は、「放射能の影響とは考えにくい」と、以下の理由をあげている。①被ばく線量がチェルノブイリ事故より少ない。②被爆から発がんまでの期間が1年から4年と短い。③事故から5歳以下の発見がない。④地域別に差がない。

しかし、多くの人は福島での小児甲状腺ガンの増加は原発事故に由来するものと思っている。「検査縮小」や「選択制」などの報道があるたびに、患者家族は心を痛め、大きなストレスを抱えている。

検査対象者は1次検査より2次が増えているが、受診者は3万人減っている。受診率が低下している理由は、年数が経ち18歳を越え、進学や就職で地元を離れたりすることで受診の機会を失っていると思われる。私たちが接した当事者や家族には18歳以上の発症が多くあった。社会人になった18歳以上の人に受診を促し、早期発見早期治療につながるようにすべきだ。

9月26日、27日と福島で開かれた5回目の日本財団主催の国際会議で、国際機関のメンバーから「福島はチェルノブイリとは違う」「過剰診断が起きている」との指摘があいついだ。しかし、福島の子どもたちを多く執刀している福島医科大学の鈴木眞一教授は、125例のうち121例が1センチ以上の腫瘍かリンパ節転移があり、「過剰診断とは言えない治療実態を明らかにした。手術後再発患者の存在も公式の場で初めて認めた。経過観察中に腫瘍が小さくなる例はなく、むしろ大きくなっているとも述べている。甲状腺ガンは予後がよいので取ってしまえば心配ないとか、経過観察中に消えてなくなる事例もないことがわかってきた。

福島県立医科大学付属病院に、「ふくしまいのちと未来のメディカルセンター」が12月23日にオープンする。アイソトープ治療の病棟が整備される。リンパ転移や肺転移、遠隔転移している患者に隔離病室で、ヨウ素を含む薬剤を服用するアイソトープ治療を施す施設である。隔離病室で誰とも接触できず、ヨウ素が排出されるまでの5日間、食べ物の残りや排泄物もそのまま流せず溜めて放射性廃棄物として処理すると聞いた。子どもたちが放射性ヨウ素の被曝に耐えながら隔離病室で治療を受けている様子を思ったとき、哀しく切なくなる。誰がこんな目に遭わせているのか。  2011年から始まった県民健康調査は問題が多い。甲状腺エコー検査を学校集団検診で行うが、保護者への説明はなく保護者の立ち合いもない。結果だけ数か月後に届き、詳細が知りたいときは身分を明らかにして情報開示を求める必要がある。保護者に知らされず、検診結果が医大に保管されている。A1、A2判定の人は2年後の検査になる。細胞診検査結果も術後の病理診断などはほとんど当事者に渡されていないケースもある。他の病院で診てもらおうとしても、甲状腺ガンとわかると、「医大に行ってと言われるなど、さまざまな問題が起きている。

福島県は18歳までの医療費は無料で、19歳になった人の医療費保障のための「福島県民健康調査甲状腺検査サポート事業」があるが、これは、福島県指定の医療機関か県立医大と協定を締結している医療機関以外で診療を受けている人は枠外。174人以外の枠外患者がどれほどいるのかわからない。「隠れ患者」がどれくらいいるのか、どれくらいの方が自己負担の受診を強いられているのか、わからない。

甲状腺検査まで縮小してしまったら、福島で何が起こったのかわからなくなる。ガンや被曝の不安と闘っている多くの人々の思いを無駄にしないで欲しい。


「大津地裁は高浜原発をどう止めたか」
石川賢治さん(福井原発訴訟<滋賀>弁護団事務局長)のお話


2016年3月9日、大津地裁は再稼働中の高浜原発3号機、4号機の運転禁止の仮処分を決定した。3月12日、高浜原発3号機は運転を中止した。4号機は、すでに2月29日に汚染水漏れで止まっていた。大津地裁決定は画期的な内容だった。

<運転停止を命じた大津地裁決定のポイントと特徴>

1)福島原発事故をふまえて司法のこれまでの判断枠組みを変更した

2)差し止めた理由 
a シビアアクシデント対策の不備・設計思想の問題
b 基準値振動700ガルの不十分
c 大津波の恐れ
d 使用済み燃料ピットの安全性が不十分
e 実効性のある避難計画がないこと

3)特徴
a 関西電力に高い立証のハードルを課した
b 新規制基準の不合理を明確に指摘した。
c 原発を受け入れるか否かは、専門的判断ではなく社会的判断であることを明記した。
d 思い切った判断


画期的な判断内容

これまでの裁判では、被告が立証すべきことは、規制基準が合理的であり、当該原発が規制基準に適合しているとの判断が合理的であるか否か、だけで、実質的には「当該原発が法令の規制に従って設置運転されていること」に矮小化されていた。

大津地裁決定は、被告が立証すべきことは、「原子力規制員会が関西電力に設置許可を与えた事実」だけではなく、「福島原発事故を踏まえ、原発の規制がどのように強化され、関西電力がその要請にどのように応えたか」だとした。

シビアアクシデント対策では、福島原発事故の原因を津波と決めつけていることに疑義を呈し、「原因究明が不十分なのに、この点に意を払わないのであれば、(略)そもそも新規制基準の向かう姿勢に非常に不安を覚える」「対策の見落としにより過酷事故が生じても致命的な状態に陥らないようにすることができるとの思想に立って、新規制基準を策定すべき」と述べている。

外部電源についても関西電力の対策に「これで十分か」と問い、関西電力の想定する基準値振動についても「平均性を裏付けるに足りる資料は見当たらず、関西電力の主張は採用できない」とした。大津波のおこる恐れや、使用済み燃料ピットの冷却についても、関西電力の主張を退けた。とくに、避難計画が新規制基準に含まれていないことについて、福島第一原発事故の経験に照らせば、「国家主導での具体的で可視的な避難計画が早急に策定されることが必要であり、この避難計画も視野に入れた幅広い規制基準が望まれるばかりか、それ以上に、過酷事故を経た現時点においては、そのような基準を策定すべき義務が国家には発生しているといってもよいではないだろうか」と踏み込んで述べている。

さらに、大津地裁決定は、原発を許容するか否かを決めるのは「社会一般の合意」であって、「専門家ではない」との認識を示した。


関電の異議申し立ても却下―異議審決定

大津地裁決定に対して、関西経済連合会の副会長である阪急電鉄会長の角和夫氏は、「なぜ一地裁の一人の裁判長によって、国のエネルギー政策に支障をきたすことが起こるのか」と怒りを表明したが、これこそ司法の「少数者の人権保障」という役割を理解しない発言である。

2016年7月12日、関電の異議申し立てに対して、異議審は、地裁の仮処分決定を維持する決定を下した。今、再稼働した伊方原発に対して、運転差止訴訟が3件起こされている。そのうちの1件でも勝てば、伊方原発は止まる。引き続き頑張っていこう。


集会を終えて

3人のゲストのお話とYUKARIさんの歌に、福島の厳しい現実を再認識し、その中でも再稼働を止めることができた実例におおいに励まされ、元気づけられた集会だった。集会に参加できなかった福島みずほ参議院議員からは、「脱原発は必ずできる!」というビデオ・メッセージが寄せられた。
脱原発映画デー
11月23日、小出裕章さん、武藤類子さんを迎え、「脱原発をめざす女たちの会」の集会が、浜離宮朝日ホールで行われた。

小出裕章さんのお話

国は汚染地域に人々を棄てた
私が働いていた京都大学原子炉実験所は、大阪府の和歌山県に近い泉南郡という人の住んでいない10万坪の中にある。放射線管理区域内は、飲食、排泄は禁止で、ドアが開くのは放射線が1平方メートル当たり4万ベクレル以下の場合。汚染を持ち出さないため。
福島原発事故の後、政府が作った地図によると、6万ベクレルを超える所が多く、もとの法令では福島県の東半分、宮城県と茨城県の南部と北部、栃木県と群馬県の北半分、千葉県の北部、岩手県と埼玉県と東京都の一部が、放射線管理区域にしなければならない汚染があった。2011年3月11日に発令された「原子力緊急事態宣言」は4年半たった今も解除されず、その努力もされず、人々は汚染地に棄てられたまま。
人々は汚染を忘れたいと思うし、国は積極的に忘れさせようとしている。被害者同士は分断され、加害者(東電と国)は無傷のまま原子力を進めようとしている。大切なことは、どんなに辛い事実も視つつ、被害者が団結して加害者と闘うこと。

原子力を進める本当の理由
日本にはこれまで、58基の原子力発電所が建てられた。集めた原爆材料のプルトニウムの量で、長崎型原爆が4,000発作れる。朝鮮民主主義人民共和国脅威論が語られるが、3発しかできない量だ。国連常任理事国の米、露、英、仏、中の5ケ国は戦勝国であり、核保有国である。核兵器製造のための中心3技術は、ウラン濃縮、原子炉、再処理で、5カ国以外にその技術を持つのは日本のみ。「原子力の平和利用と言いながら、それに隠れて実質的な核保有国となり、核武装の道を着々と進めている。

大切な自己責任
原子力と戦争は通底している、とつくづく思う。日本は戦争責任を曖昧にしてきた。戦後主権を回復したというが、沖縄を米軍の施政下に棄てた。1972年に本土復帰したというが、いま知事をはじめ沖縄県民が一致して反対しても、新たな基地を押し付けようとしている。
ヴァイツゼッガー(元ドイツ連邦大統領)は「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」と言った。かつての戦争時、多くの日本人は戦争に協力した。私はこれまで戦後を生きてきたと思っていたが、最近新たな戦前を生きているのではないかと思う。安倍政権が戦争への道を着々と敷いているいま、1人ひとりの責任で考え、視野を広く持ち、たくさんの課題と連帯し、行動しなければならない。
以上のような小出さんのお話は、工学者であり、同時に社会学者、哲学者から、現代に生きる私たちへの懸命なメッセージと思え、心に響いた。

武藤類子さんのお話

福島では、三春町に11月「環境創造センター」が発足した。新たな原子力安全神話を広め、避難者の帰還政策を進めている。10月には、線量が高い所のある国道6号線の清掃作業に、中・高校生の1、400人が招集された。 福島の災害関連死は、津波で亡くなった人の数をはるかに超えた。 福島原発告訴団の15千人が刑事告訴した事件は、検察審査会が、「起訴すべき」と断じ、東電元会長など3人が強制起訴されることになった。来年にも裁判が始まり、5年目にようやく刑事責任が問われようとしている。 私たちは、あきらめず、つながり、1人ひとりが自分で考える、という3つのキーワードで取り組んでいる。

呼びかけ人の3人からアピール

まず、参議院議員の福島みずほさんから。大飯原発と高浜原発の差し止め訴訟第一審判決を拡げ、何としても高速増殖炉もんじゅを廃炉にしたい。しぶとく、しなやかに、安部総理の天敵としてこらからも頑張って行きたい。 次いで、前参議院議員の大河原まさこさんから。脱原発基本法が出来なかったのは、何としても残念だった。これからもやっていく。 最後は、青森から参加の大間原発建設阻止に取り組むあさこはうすの小笠原厚子さんから。原発も戦争も反対。それをみんなさんといっしょに行っていきたい、と連帯のアピールをした。
会場は定員の400人の参加者で満員。終わって帰途に向かう人たちから、「とても良い集会だった」という声が次々に聞かれた。ロビーで呼びかけた「戦争法廃止2000万人署名」には隣の音楽ホールを訪れた参加者からも飛び入りで署名する人がいて、反響を呼んだ。

ゴメンだね!原発も戦争も!-集会報告-
電源開発に大間原発建設中止を申し入れ
6月19日午後、参議院議員会館講堂で、「小さき声のカノン」上映と鎌仲ひとみさんトークを実施しました。

いつも「脱原発をめざす女たちの会」集会に来てくださる皆さんも、沖縄辺野古新基地建設を推し進めるむき出しの暴力を止めさせたいという活動や、政権が急速に進めようとしている戦争法案の国会審議をどうしてもストップさせたいという思いで各地で駆け回っていて、果たしてどれくらいの方が来てくださるか、宣伝が行き届いていないのではないか、ちょっと心配でした。 でも、ふたを開けてみると続々のご参集、100名近い参加でホッとしました。

「内部被ばくを生き抜く」、「ミツバチの羽音と地球の回転」、「六ヶ所村ラプソディ」など、矢継ぎ早に制作発表を重ねてきた鎌仲ひとみさんの、当事者の人たちとつながり、彼ら彼女らの気持ちをしっかり共有しあいたい、当事者の思いこそを中心に、社会は変わらなくてはならないという揺るがない確信にあふれた作品です、エンディングテーマ曲NUUさんの「うまれてきたから」が響き渡り、会場がすっかり明るくなるまで、席を立つ方もほとんどなく、大きな拍手がわきあがりました。

講堂は、非常口照明がかなり明るくて映画上映に最適とはいかないのですが、議員の参加も多く、思わず感動を口に出さずにはいられないという様子でした。

多くの方がそれに続く鎌仲ひとみ監督の話を最後まで聞いてくださり、全シナリオ掲載のプログラム50冊も残部なしという状態、次の上映会を開くという声を期待して、無理を承知で行った有料試写会(参加費500円)でしたが、それほど大きな持ち出しにはならずに済みました。

チェルノブイリのような保養システムが全くないどころか、「安全宣言」や「帰れコール」が強まる今日、フクシマで暮らす人たちや避難生活を強いられている人たちが孤立せず少しでも安心できるように、保養のための取り組みがもっと大規模にそして継続的に動き出さなくてはならない、と痛感した人がいっぱいでした。

この映画上映がもっともっと広がり、各地で行われることが、きちんとした保養の仕組みを作らせることにつながると確信しています。

次の上映会はあなたの地域で。
幌延深地層研究センター
本会では、昨年12月18日に続き、3月11日に2度目の「日本と原発」上映会を実施した。この映画は、全国各地で自主上映されているが、どこでも好評である。会としては、この映画を多くの方に見ていただくために、賛同金の一部を使って、首都圏以外を中心に自主上映される団体に補助金を支出することも決定し、すでに11団体への応援を決定したところだ。

今回は、上映の間に、映画にも出演されている元経産省の官僚で、退任後脱原発などの活動を展開されている古賀茂明さんの講演をお願いすることにした。第1回目の参加者と第2回目の参加者が一緒に講演を聞くということで、参加人数が不確定の中、当日は、予備の椅子をたくさん出し、見事に会場いっぱいの聴衆でお話を聞くことになった。1・2回目の参加者合計で240人であった。

映画は、今回も「本当にいい映画だと思う。」という感想が聞かれた。被災者の話には、すすり泣く声も聴かれた。古賀さんの講演では、まず、原発を止める理由として、原発のごみが処理できないこと、日本の原発は立地的にきわめて危険であること、が挙げられたが、それだけでは説得力はない、むしろ原発が無い方が経済成長できる、日本人らしい生き方として、欧米の科学主義に対して、自然と共に生活してきたことを大事にすべきだ(ドイツの大使から指摘)、などを挙げる必要があると話された。自然エネルギーの比率では欧米では2005年以降発電量が伸び、コストも下がってきたが、日本は電力会社の妨害もあり、遅れを取っている。自然エネルギー後進国であるとも言われた。原発推進側が言う、自然エネルギーの不安定性では、スペインはすでに全国の気象データを把握し、自然エネルギーの振れ幅をしっかり調整できるような技術を開発しているとのこと。日本でもできるはずだと思う。

古賀さんは、報道ステーションのIS人質事件についての発言で、官邸から番組に圧力がかかったことも紹介し、3月27日の出演が最期になりだろうと言われた。この問題を巡っての古賀さんの抵抗活動も紹介されたが、権力に媚びない、言うべきことは言う姿勢に参加者から拍手が起きた。話の中で驚いたのは、人質事件などで入手した外務省の情報は日本だけでなくすぐにアメリカにわたり、それを知っての安倍の言動だということ。安倍は、明治期の日本国家への憧憬があり、列強諸国に並びたいという願望を持っていて、所信表明では岩倉具視などを盛んに引用していたが、引用するなら、戦後の日本の復興であろう。戦後70年間、9条のおかげで、戦争せず、外で人を殺していない世界で稀な国であるが、列強の仲間に入りたい安倍は、アメリカの動向を意識しながら、発言している。

そして、今の日本の政治状況を分析し、リベラルで改革志向のフォーラム4を立ち上げる積りだと締めくくられた。ユーモアがあり、何度も笑わせながら、しっかり核心に迫る話に参加者は時間がもっとあればと思ったに違いない。またお話を聞く機会があればと思った。

幌延深地層研究センター
幌延深地層研究センター
11月から劇場公開されていた「日本と原発」という映画は、大変な評判で満員で入れない人が続出しているという話が伝わってきた。監督は、日本全国の原発訴訟弁護団長を務めている河合弘之さん、構成と監修を訴訟団で共に活動してきた海渡雄一さん、そして音楽はあの佐村郷地事件で影の作曲家としてむしろその実力を評価されている新垣隆さんという豪華メンバーの手になる作品だ。

参議院議員会館で上映会を開催しようと相談してから、短期間で情宣も十分にできない中で迎えた当日。どのくらいの人が来てくれるかという不安を吹き払うように、会への電話には、当日参加でいいのかという問い合わせが多数寄せられ、13時の開場前12時過ぎには会館のロビーで待つ方が目立つようになり、逆に椅子席の不足を心配するほどになった。

1部の始めには会の一員で会場を取ってくれた福島みずほさんから上映経過についての話があり、2時間20分近い映画を開始。国連でアイゼンハワー大統領が原子力の平和利用について話す場面から開始された映画はやがて次々につくられる原発の状況を振り返り、3・11の東電福島第1原発事故が再現される。海渡さんに相談したという浪江町の馬場町長が当時の状況や子どもたちが全国に分散させられている現状、住民の怒りや悔しさを涙ながらに語る。河合さんは映画の中で浪江の浜で助けを求める人の声や車のクラクションを聞きながら放射線量が高くて助けることができなかった消防隊員の苦しみを聞き出す。

事故当時の東電と官邸のやり取りも詳細に再現される。河合さんが自ら原発の重点について講義する場面が数回出てくるが、基礎知識を与えてくれる貴重な場面だ。 そして、映画の中での様々な証言者、小出裕章さん、古賀茂明さん、大島堅一さん、田中三彦さん、飯田哲也さんたちの言葉も傾聴に値する。海外メディアの紹介も貴重だ。 最後は日本全国の原発映像が新垣さんの重厚な音楽と共に登場し、幕となる。
原発について総合的に紹介され、映画としての面白さも十分に堪能できる傑作だ。

2部の最後には福島さんのあいさつの後、スペシャルゲストとして登場してくれた河合さんと海渡さんのお話も聞けた。映画の中でも二人の息の合った会話が和ませてくれたが、この時も楽しい中に示唆に富む話をいただいた。

河合さんは、この映画を作ったのは、一般の人に原発の恐ろしさを知ってほしいことと、福島事故の後もなお、原発を推進しようとする勢力に対して、きちんと論争で勝てるようにという意図があったと話され、本気ですればたいていのことはできるし、面白いし、そして誰かがその本気さに打たれて助けてくれる。この映画は本気で作ったとおっしゃった。海渡さんは福島の事故で起きたことを、浪江町を中心に丁寧に描こうと思った、そして知識を持ち、福島へのシンパシーを持ち、脱原発に向かって頑張る決意を持ってほしい、今後再稼働の動きが次々に起きるだろうが、この映画で力を奮い立たせ、日本の原発を全部止めるまで闘い続けようと呼びかけられた。

劇場で見られなかったがぜひ見たくて、ネットで探したらこの会のことが出ていて見られてよかった、と言っていた方、スタッフに話しかけ、自分は浪江町の人間で涙なくしては見られなかった、原発で働いていたが仕事もなくなり、生活は厳しいし、子どもがいるので心配だ、訴訟団に入って頑張っているという方もいた。アンケートは取らなかったけれど、皆さん、この映画から得たものは多かったと思う。1・2部合計で300人以上の参加者だった。 会では、この映画の全国上映をすすめていこうと話し合っている。

幌延深地層研究センター
幌延深地層研究センター
前日の21日に衆議院が急遽解散、総選挙を前にした集会となった。脱原発のみならず、自己本位で、憲法無視の諸政策を推進する安倍政権に「No!」を突きつけたい人たちで、3連休の初日にもかかわらず250名ほどの参加者とスピーカーで会場は盛り上がった。 動画は以下のURLで配信されています。

福島原発事故四年目の真実 ~脱原発をめざす女たちの会 (前半)
福島原発事故四年目の真実 ~脱原発をめざす女たちの会 (後半)

★海外メディアが伝える私たちの知らない福島

ドイツとフランスのTVの4本のドキュメンタリーを短く編集し直した「フクシマ-最悪事故の陰に潜む真実」、「フクシマの嘘シリーズ」、「福島地球規模の汚染」、風刺番組「ニコニコする人に放射能は来ない!」が上映された。真実を追求する海外メディアに対して、一番影響を受けているのに知らされない日本、福島の人々。原発ムラの圧力に屈し、真実を伝えようとしないメディアにも呆れ、驚き、怒りが湧く。

★講演は3人から

最初は澤井正子さん(原子力情報室)から「拡散する放射能と福島第一原発のいま」と題して。 「情報は当てにならない、専門家は当てにならない」の2つを原発事故で学んだ。3/12~4/19の放射能放出のシミュレーション映像は、迫力がある。当初は風向きで7~8割は太平洋に流れ、2,3割が内陸に。3/15には風向きが変わり、近隣の市町村に放射能雲が浮遊、そこに雨、雪が降った。学校が休みだった子どもたちは外で雪合戦を、大人は雪かきをした。格納容器ベントからも、建屋爆発によっても放射能を放出したが、壊れなかった2号機の建屋からが一番多く放出された。汚染水はノーコントロールだし、放射能はいまだに空にも海にも出しっぱなしである。 続いて医師の振津かつみさん(チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西)。

2011年4月12日に初めて福島に行き、その後毎月健康相談に行き、今日もその帰りである。2014年6月までの福島県民健康調査・小児甲状腺検査結果によると、58名が手術を受け、40名が手術を待っている状況。本人や家族の精神的、経済的負担は大きい。ガン、白血病だけでなく、どんなに低線量でも慢性的な被ばくをする子どもたちは、大人より体力の低下などの健康リスクが大きく、合計の被ばく量を減らすことが大切である。高齢者も要注意。胎内被ばくによる小児ガンの増加も明らかにされている(オックスフォード・スタディ)。脱原発と結んで、福島事故被害者の健康と生活を守ろうと話した。

休憩を挟み3人目の講演は辛淑玉さん(人材育成技術研究所所長)。

月2回は、放射線量の高い所に行っている。子どもの頃、年末の紅白歌合戦の時間、女たちは台所に立っていた。子どもだった私は、酒を飲んでいる男たちに呼ばれて一緒にTVを観た。次々登場する歌手たちを、あれは誰それの子、誰の親戚と説明され、その数は日本人より少なくはなかった。在日朝鮮人は就職できず、芸能やスポーツ界に多く入ったから。映画の「寅さんシリーズ」が嫌いだ。寅さんはテキヤで在日が多く従事する仕事だったし、柴又界隈は在日のエリヤだった。でもそのことが一つも出ないのだ。いま寅さん映画と同じように、福島を消そうとしているのではないか!今日は2つのお願いがある。(1)選挙に行って欲しい。私には選挙権がないが、戦争をさせない政党、個人に投票し、それを1人が3人に働きかけて欲しい。(2)物販されている被災地などのものを、1人1個は買って、と訴えた。

★スピーチは、5人から

会津若松市在住の古川好子さんは、被ばく者の自覚を持とうと、以前はやっていた「臓器提供の署名」と「献血」はいっさいやめた。夏でも長袖を着、現実を、危険性を、忘れないように、福島で暮らす。日本の原子力発電による被ばく者である私は、みんなの前例だと力強く話した。 忙しい中、駆け付けた福島みずほさん(社民党副党首、参議院議員)。今年は脱原発ではちょっといいこともあった。大飯原発訴訟では住民が勝訴し、大間原発建設凍結を函館市長が提訴したと報告。一方政権は、「川内(せんだい)」原発を「かわうち」と読むような担当大臣で、解散も安倍総理が自分のためだけを考えてのこと。そのため、戦争と貧困に向かうことを許さないとても大切な選挙になった。皆と一緒に頑張ると、強い決意を表明。

続いて大河原雅子(民主党 前参議院議員)さんは、いま衆参とも脱原発を言う議員は減った。今度の総選挙は、候補者一人ひとりに脱原発を問う選挙にしようと呼びかけた。

菊川慶子さん(花とハーブの里)は六ケ所村から参加。六ヶ所村には、低・高レベルの使用済核廃棄物がどんどん運ばれてくる。6月の村長選挙に出馬したが負けた。来年6月の村議会議員に立候補する、との表明に会場から応援の拍手が湧いた。

武藤類子さん(福島原発裁判原告団長)は福島から参加。人権侵害がどのようにされていくのかが、福島にいるとよくわかる。福島原発訴訟は東京地裁で却下されたが、それを訴えた検察審査会では、「トップ3は起訴相当」の判定が出た。11/16には、住民、労働者、子どもなど多様な人々が集まって「原発事故被害者集会」を行った。これから抵抗の火の手を上げる!とソフトな言い回しながら、力強く宣言した。

脱原発に集う力を、総選挙に活かしたい!憲法、人権を守りたい!と決意を新たにし、集会は終了。各地からの物販も完売した。

幌延深地層研究センター
幌延深地層研究センター
わかりやすいと好評のリーフレット『原発がダメなこれだけの理由(わけ)』をいろいろな人に読んでもらって反原発の輪を広げてゆこうと、有志で取り組んでいる街頭宣伝。

今回は11月の集会のお知らせも兼ねて、9月19日金曜夕方のJR目黒駅西口で街宣しました。まだ明るさの残る5時半から始め、福島みずほさんはじめ、メンバーが交代でマイクを持ちながら、日の落ちる6時半まで行いました。

この猛暑の夏も原発ゼロで乗り切ったのに、福島の人々の健康や生活の問題はむしろ深刻化しているのに、なぜ安倍政権は原発の再稼働や海外輸出を強行するのか、高レベル放射線廃棄物処理を研究している幌延や瑞浪を見て実感した処分についての安易な考え方、地盤が軟弱で地下水の豊かな日本での放射性廃棄物処分の無謀さ、などなどを訴えました。

仕事帰り、学校帰りの人々の行き交う駅前交差点では、用意したリーフレットはほぼなくなるほど高校生や若い人を含めて受け取りも良く、また訴えに関心を示して話しかけてくる人も多く、地道に訴える活動の手ごたえを感じた街頭宣伝でした。(柳沢)

なるべく大勢の方にご参加いただこうと、賛同人の皆さまにはご案内も差し上げていますが、チラシの配り手が多いほど、その勢いに呼応して受け取りもよくなります。

ぜひ次回はアピール行動にご参加下さい。次回は10月23日(木)午後5時~6時JR線・西武新宿線高田馬場駅前BIGBOX前です。

ご参加お待ちしています。
詳細のお尋ねは脱原発をめざす女たちの会事務局電話080-3174-3584まで。

幌延深地層研究センター
幌延深地層研究センター
5月24日(土)、北海道・幌延にある、独立行政法人「日本原子力研究開発機構」の「幌延深地層研究センター」に、原発立地地域などで運動する自治体議員や脱原発をめざす女たちの会のメンバーなど約四十人で視察に行きました。福島みずほ事務所の呼びかけ。

私たち一行は幌延現地や周辺地域で建設反対や監視活動をしてきた「核廃棄物施設誘致に反対する道北連絡協議会(鷲見悟・久世薫嗣・東道代表委員)」や地元の方々のお話を伺いました。

視察前日の23日には、同協議会が下村博文文科大臣と茂木敏充経産大臣に対して、「原子力機構の解体と幌延深地層研究計画の中止」を求める抗議文を提出するなど、地元では幌延への施設固定化の懸念が高まっていた中での視察となりました。

これは、日本原子力研究開発機構と北海道・幌延町との三者による「研究施設であって、放射性廃棄物は持ち込まない」との協定(2000年)があるにも関わらず、日本原子力研究開発機構の野村茂雄理事の「研究施設埋め戻しはもったいない」発言への抗議です。

幌延深地層研究センターでは、副所長より地層処分計画について説明を受けた後、140メートルと250メートルの坑道を視察しましたが、参加者から「松代大本営の地下壕みたいだ」との指摘が出たくらい坑道は狭く、腐食しないコンクリート研究を継続しているとしながらも、その研究成果がいつ出るか分からないとのこと。

幌延は軟弱な地盤であり、以前は一日400トン、現在は一日100トンの地下水が出ていて、その対応にも苦慮してきた経緯もあります。

福島みずほ参議院議員は記者会見で次のように指摘しました。

「オンカロのような『10万年後まで管理する』という哲学とは全く異なり、幌延深地層センターの研究は「いずれ自然に還る」という方針で、安全性に多いに不安がある。

現地に行って機構と北海道庁と幌延町の三者の協定は改訂される可能性があり、幌延は最終処分場の一つになる可能性があると感じた。大飯原発3・4号機の運転差し止め判決が出たが、安倍内閣は再稼動するに当たり、最終処分場を性急に決める可能性が高いと感じる。

北海道の各地を処分場にさせないために、国会で質問し行政交渉をし、現地北海道の方々と連帯したい。 脱原発をめざす女たちの会は、原発立地地域や放射性廃棄物の処分場候補地など現地で活動する方々との連携を重視しており、二年前には事務局で大間の「あさこはうす」にも見学に行かせてもらっていますが、今後も継続して全国の原発立地地域や最終処分場候補地などに視察に行きたいと考えています。
(投稿 池田幸代 福島みずほ事務所 秘書)

幌延深地層研究センター
脱原発映画デー
<街宣行動>

五月晴れで、屋外での行動にはぴったりの日和。11時~12時までは、上野駅不忍口の眩い陽光の中での街宣リレートーク。「原発がダメなこれだけの理由」のパンフを紹介し、多様な面から脱原発を訴える。マイクを握り、横断幕を掲げ、パンフを配布するメンバー。

子連れの人には、「子どもたちの未来のために」。大人には「原発が一機も動いてなくても、電気は足りています」と言いながら、手渡す。マイクを握っているのが福島みずほさん(*画像左)のときは、近づき、話しかけ、握手する女性たちも多い。「ボク、みずほさんのファンです」と言いながら、遠巻きに話を聞き、去っていくのはおじさんでした。

上野不忍口周辺は、旅行鞄を持ち、日本語ではない言葉を交わす外国人の往来も多く、パンフの受け取りはもう一歩という感じでした。

<女たち・いのちの大行進>

13:00開演。第1部のメッセージスピーチは、障がいをもつ安積宇宙さん、沖縄の高里鈴代さん、アイヌ民族継承者の平田みゆきさん、在日韓国人の朴慶南さん、福島の荒井祐子さんの5から。そして海外からもメッセージは、ルワンダのカンベンガ・マリールイズさん、アメリカのノーマ・フィールドさんの2から。(*画像真ん中)

第2部パフォーマンスライブの司会は、緑色のぬいぐるみ「ゼロノミクマ」さん。ゼロノミクマさんは、原発ゼロを目指すソーシャルゆるキャラで、話し方が可愛い。5組のパフォーマンスは、すべて聴衆の参加型。舞台に上がっていっしょに踊ったり、歌の一節を合唱したり、席から立ち上がって手を振り、足を揺らす。会場のみんなが、のりまくり、のせられまくりで盛り上がりました。

最初は、レラの会のアイヌ舞踊。歌声、衣装も素敵で、長い髪を前後に振っての踊りは迫力があった。2組目の古代フラは、水野みさを&虹の天の鳥たちによるパフォーマンス。これまで知っていたフラダンスと違い、ゆっくりとソフトな何とも優雅な舞いで、ほんとうに素敵でした。3人目は、こぐれみわぞうさん。シカラムータ・ジンタラムータのメンバー。当日は女性の彼女1人がチンドン太鼓を鳴らしながら「We shall overcome」などを力強く歌った。

続いて寿〔Kotobuki〕の2人。「平和に生きる権利」「もう愛しかない」などを朗朗と歌い上げる。会場からアンコールの声が上がるが、その時間はなかった。最後は李政美さんの歌。ギターの矢野敏弘さん、ヴァイオリンの向島ゆり子さん、キーボードの竹田裕美子さんの演奏で、「うないの力」「ありらん、すりらん」などの歌声が響き渡る。会場は総立ちで、共に踊り、声を合わせた。(*画像右)

大行進は車椅子や乳母車の利用者、子どもたち、福島からの参加者を前方に一般参加者が続く。シュプレヒコールなどはなく、李政美さんらのリードで「やさしく怒りこめて」など、行進者の歌声を届けながらゆっくりウォーク。警備の警察官の対応は親切で、ビルの窓からは、パレードの写真を撮る人たちもいた。 とてもいい「女たち・いのちの大行進」で、「本当にありがとう!」と、実行委員会と福島の女たちに伝えたい。

脱原発映画デ
脱原発映画デー
5月の連休の最終日となる6日、翌週11日の「女たち・いのちの大行進」につながるプレ企画として、脱原発をめざす女たちの会では、「5.6脱原発映画デー 女たち・いのちの大行進(5.11)に賛同して」を開催しました。

原発震災から3年、あの事故はなんだったのか、私たちは未来に何を残すのか、何度でも振り返り問い直そう、まるで原発の過酷事故がなかったかのように、原発を使い続けると宣言する安倍政権の「エネルギー基本計画」に大声でNOと言いたい、と考え、ふだん、なかなか上映の機会の少ない、原発・震災関係のドキュメンタリーを、それも3本じっくり見られる構成で企画しました。会場は、日比谷公園の中の日比谷図書文化館地下、日比谷コンベンションホールです。

まず、10:30から12:15の午前中に、「福島 六ケ所 未来への伝言」(監督 島田恵)を、お昼をはさんで、午後は13:00から14:30が「原発の街を追われて 避難民・双葉町の記録」本編・続編(監督 堀切さとみ)、14:45から16:00に「逃げ遅れる人々 東日本大震災と障害者」(監督 飯田基晴)でした。

当日は、開場前から並ぶ方も多く、また、男性のご参加もいつもより目立ちました。一日通しで見られる方が半分以上おられて、会場はほぼ満席となりました。どのドキュメンタリーも、ナレーションは控え目で、人々の暮らし、表情、言葉を丁寧に追い、主張することよりも、その人たちに寄り添い、共に考えるという姿勢に貫かれています。
 
「福島 六ケ所 未来への伝言」は、六ケ所の村、海、山、そこでの漁師さんや農家の暮らしの撮影が美しく、この美しいふるさとをそのまま未来へ手渡したい、という監督、人々の気持ちがしみじみと伝わるものでした。ことに、なごやかに語りながらも原発に漁の仕事を奪われることへのかなしみを伝える主婦、1986年のチェルノブイリ原発事故以来、「かくねんまいね」とじょっぱりの女の心意気でデモを続ける女たちが雪の中を歩む姿など、女たちの姿が印象的でした。

午後の映画はまず、「原発の街を追われて 避難民・双葉町の記録」から。避難先でも地元との交流の工夫をしたり、限られた条件の環境の中で前向きに生きがいを探していく人のいる一方、福島県内に避難している町民との分裂で、遠方への避難は、わずかな援助でさえも「殿様のような生活」とバッシングされていく・・・、見ながら、自分ならどうするか、と深く考えさせられるものでした。

このあとの休憩時間には、双葉町の映画を監督した堀切さとみさん(写真左)の挨拶、「5.11 女たち・いのちの大行進」のアピールとテーマソングの披露、そして、長時間の鑑賞のリラックスのためにストレッチ指導もありました。

堀切さんは「埼玉県の騎西高校に避難してきて長期の避難生活を強いられることになった人々の思いと、都会に住んで原発反対を行ってきた自分たちと何が違うのか、それを考えたくて映画を撮り始めました。遠方に避難した人たちがバッシングを受け、追いつめられるという成り行きもあり、今はもう避難所は閉鎖されましたが、続編も撮りながら、人のあり方、自分だったらどうするかといろんな場面で考え続けて来ました。そして、今は、当たり前のことが言えない、それを口にすることさえ難しい世の中が来ているのではないかと危惧しています。」と話されました。

女たち・いのちの大行進の呼びかけ人(写真中)を代表して、有澤加奈枝さんからは「みなさまに5月11日に上野水上音楽堂でお会いすることを楽しみにしています。被災地の住民の方々の苦難は続いており、更に、差別・戦争・貧困へと社会が傾斜していく中で、女たちが輪になってつながってこの閉塞状況を変えていきましょう」とのアピールがあり、李政美さんによる行進のテーマ曲「いのちの平和に原発はいらない、戦争はいらない、差別はいらない、みんなで歩こう、光の方へ、あなたと私で世界を変えよう」が、ゆっくりとやわらかに会場を流れました。

午後の二本目は「逃げ遅れる人々 東日本大震災と障害者」。震災後、障害者の死亡率は、住民全体の死亡率の2倍の数字になりました。もともと困難な条件の中で生きている障害者が直面する、未曽有の規模の事故の中での困難には言葉を失うようですが、それでも、その中で、訥々と語りながら、今後どのように生きるかを模索している障害者たちがいます。「周囲に迷惑をかけることになるから、避難所には行かないことにしたけれど、でも、家にいても、物資を取りに行くこともできないし、情報も入らないし」と言う障害者の言葉、「行政の調査の分類は障害の重度によっているけれど、実際の困難さは、障害の重さではなく、その人を取り巻く環境によるのです」というサポートセンターの職員の言葉が心に残りました。

開会と閉会に際して、女たちの会の呼びかけ人の一人、福島みずほ参議院議員(写真右)からの挨拶がありました。閉会挨拶では、福島議員はこの障害者の映画を受けて、「1月に改訂された国の防災基本計画では、災害発生時に障害者やケアの必要な人は基本的に自宅退避、これは置き去りです、けれども、そもそも浜岡や東海第二など、障害を持たない人々でさえ、逃げられない地域に原発はいくつも立地しています、やはり「動かさない」決断しかありません」と会場へ訴え、大きな拍手で映画デーの終了となりました。

なお、以下に当日頂いた感想のいくつかをご紹介します。

「今この時期に島田さんと堀切さんのこの作品を見る事が出来ていろいろ整理できました。福島の子供たちの保養にかかわって少し悩んでいたのですが、これからも息長く子供の健康のためにできることをしていこうと思います」

「3本の映画のどれも素晴らしかったし、観客の中にはハンカチで涙をふく方もいました。まだまだ福島の事故は終わっていないことを改めて確認し、福島さんの言葉にあったように、弱者切り捨てをすすめようとする政権に対して、国会の内外での闘いが大事だと改めて思いました。」

「3本ともそれぞれ焦点の当て方が異なっており、組み合わせたことも良かったなと思いました。」

脱原発映画デ
電源開発に大間原発建設中止を申し入れ
3月8日~9日、脱原発をめざす女たちの会から20名で福島の行動に参加した。

★「原発のない福島を!県民大集会」(郡山市ユラックス熱海会場)

当日はいわき市、福島市でも県民集会が開催され、3会場あわせて5300人が参加した。会場のある磐梯熱海はふりきしる雪に包まれていた。いっしょに集会に参加したいという福島在住の女性も私たちに合流し、会場に向かった。

3回目の今年の集会は福島第一原発のある双葉郡8町村のすべてが応援団体となったそうだ。開会に先立ち、神田香織さんの講談「福島の祈り」。熱演に聞き入る。集会では呼びかけ人代表の福島大学教授清水修二さんが挨拶。震災関連死は1600人に達し、2日間で3人が死亡している割合、福島では自殺者も相当数増加、原発で働く労働者のうち100ミリシーベルト以上の被曝者は2000人に達している。福島第2原発は立地町村も含めて全県で廃炉要求が出されている、東電は直ちに廃炉決定をすべきだと訴えた。

大江健三郎さんは、「戦争中日本人は軍部や政府の言うことが嘘だと知りながら信じようとした。『知らなかった、騙された』というのは騙された人間にも責任がある。今また原発は安全だという宣伝に騙されたがっている。事故を知った今、騙されたとはもう言えない」と語った。原子力資料情報室の澤井正子さんがフクイチの現状をわかりやすく詳細に報告。原発事故後の1か月で放射能が関東や中部地方まで拡散するパワポのリアルな画面に会場からどよめきが起こった。

福島からは強制避難者や自主避難者、有機農業を営む農家など生産者、除染労働者や応募して平和大使となりジュネーブで原発事故被災者の訴えをした女子高校生が発言した。「福島は我慢の限界にきている」という避難者の言葉、高校1年生の「大人たちになぜ原発を作ったのか問いたい。責任をとって欲しい。けれども自分より若いこどもたちからは事故後何をしていたのかと自分たちが問われる立場だ」という言葉が胸に沁みた。

★3.8女性交流会

県民集会終了後、会場を二本松市の福島県男女共生センターに移して、脱原発をめざす女たちの会独自の女性交流会を行った。福島県から参加して下さったのは、「かーちゃんの力プロジェクト」の渡辺とみ子さん、建築士の菅野真由美さん、桜の聖母短大教員の二瓶由美子さん。それぞれパワーポイントを使って活動の報告をして下さった。

渡辺とみ子さんは、あぶくま地域の全村避難になった村出身の女性たちが立ち上げた「かーちゃんの力・プロジェクト協議会」の会長。もともと飯館村で女性農業者とともに特産品や加工食品の製造・販売をやっていた。飯館雪っ娘という名前の南瓜を商標登録申請後に被災。何とか種は保存でき、今は避難先で仲間と育成中。経験を活かし、避難を余儀なくされたかーちゃんたちのネットワークであぶくま地域を元気にするプロジェクトを進行中。かーちゃんの店をオープンし、農産物加工品の販売や笑顔弁当を作り販売、仮設住宅に届けたり各地のイベントへの出店などを行っている。「あきらめない」をモットーに活動の場を広げているとのこと。この交流会でも夕食にあぶくま茶屋の美味しい弁当を頂いた。

菅野真由美さんからは建築士のグループで仮設住宅の調査を行った結果の報告と、菅野さんが住む伊達市のホットスポットになった地区で住民による放射線測定室を立ち上げ、放射線量を減らす工夫などの情報提供を行っている活動の報告。仮設住宅の中でもっとも多いプレハブ型は狭い住戸間隔で窓も小さく窮屈な印象、入口の段差が70センチもあるところなどあり、高齢者や障がい者には住みづらい。木造仮設は見かけはずいぶんましそうだが、土台の基礎は打たれていなくて木造の足が地面に載っているだけ。あくまでも仮設住宅だからということだそうだ。バリアフリー型とされるところでも入口に急な段差があるなど、問題が多い。仮設住宅の再編が行われようとしているが、例えば4月から帰村を開始した川内村では復興公営住宅を50世帯分準備したが、仮設と違って家賃がかかったり不便な場所にあったりで、入居は進んでいない。

今必要なことはなによりも事故の収束。住み続けたい人のためには除染が徹底的に行われなければならない。福島の人は疲れ切っている。この3年間焦って前のめりでやってこなければならなかった。これからはもう少しじっくり考えてやっていきたい。二瓶由美子さんは福島県が行ったチェルノブイリ調査団に加わった経験を活かす活動を、調査団参加者とともにやっていると報告された。

地震直後から学校に泊まり込んだ女子学生たちの活動は、本当に次々と広がり、避難所の応援や、高齢者の方々が生活不活発病にならないようにと創作したガンバッペ体操をひろめたり、とどまるところを知らない。現在ではさらに進化させた内容の研究、「福島学」に取り組んでいるとのこと、これは二瓶さんご本人がのちほど直接ご報告くださる予定。若い娘さんだからまず避難させるべきという声も当然聞こえてくるけれど、家族のそれぞれの事情を抱えながらも、福島にある小さな大学だからこそ何とか通学できているのだというのも、苦しいけれどまた一つの声と話された。3人の中身の詰まった報告に活発な質問や意見が出て、交流会は夜の10時まで続いた。

★3.9 被災地フィールドワーク

県民集会実行委員会が主催するフィールドワークに全国各地からの参加者とともに16人で参加した。飯館村視察、南相馬市小高地区(避難指示解除準備区域)をまわって福島駅までのコース。一人一人に線量計が配られた。飯館村の飯樋小学校の校庭は雪に覆われていた。雪が積もると放射能が雪に遮蔽されて線量が一時的に下がるそうだ。フェンス際に積もった落ち葉に線量計をかざすとみるみる8.0マイクロシーベルトまで上がって驚いた。ガイドをして下さった飯館村の方の説明では最近は平均.2.0マイクロシーベルトくらいまで下がっているということだったが、高いところは高いままなのだ。飯樋小学校はま新しいカラフルな木造の温かみのある校舎。窓から教室を除くと仕切りのないどこにでも行くことのできる教室のところどころに丸いテーブルが置かれている。教室と言えば黒板にむかって机と椅子が整然と並んでいる、そんな常識をぶっとばす開放感あふれる空間。全国の小学校がこんな学校ならどんなにいいだろうと思う。そこに人の気配はない。夢のような場所は奪われてしまった。その無念さがそくそくと胸に迫る。

南相馬市の小高地区。元は家や畑があった場所に残るのは半壊した家とむき出しの土台と海岸の無残にくずれた堤防のみ。2011年5月に近くの小島田地区を訪れたことがあるが、その時と違っているのは瓦礫の山が無くなったことだけ、何も変わっていなかった。女たちの会の参加者の一人が、飛ばすと大きな鳩になる風船のようなものを10個ほど持って来てくれた。材質はいずれ自然になくなるという。その鳩を、被災者の鎮魂と脱原発の実現を祈ってみんなで大空に放した。青空に白く舞い上がった鳩はとてもきれいだった。

南相馬市から福島に向かう車中で飯館村で教員をされていた方からお話を聴いた。双葉郡の避難先での学校再開の状況、飯館村の避難指示解除準備区域とされたところには戻ってきた店や企業が少しあるが、村民がいない中で営業できる状態ではない、自分の住んでいる地域は飯館村でも帰宅困難区域とされているところで今後の見通しはまったく立っていない、どうするかは決めていないが、体験と現状を全国の人々に伝えていくことが自分の役割だと思っていることなどを淡々と話して下さった。

今回のツァーで「福島は忘れられている」「福島は疲れている」「我慢の限界」という言葉を聞いた。「福島を忘れない、福島とつながる」活動が女たちの会の原点だとあらためて思った2日間だった。

結成2周年集会
「つくらない!売らない!動かさない!わたしたちの脱原発3原則」11・9集会のご報告

お天気が心配だった週末でしたが、議員会館裏手にある星陵会館は、300人の女性と男性の熱気があふれました。結成2周年記念集会の舞台には、「わたしたちの脱原発3原則=つくらない!売らない!動かさない!」の文字がはっきり掲げられていました。司会はレイバーネットの松元千枝さんと、NGO職員の秋山映美さん。しゃきしゃきさくさくと次第は進みます。

 トップバッターはおしどりマコ&ケンさんのスピードトーク。原発問題も秘密保護法も、何でもかんでも政権の進め方はまったく同じ、「国民はなめられている!」。東電もびっくりの、オリンピック招致プレゼンの場での完全ブロック発言は、水俣やアスベストなどと同様、住民の命よりも企業の発展が大事にされる国だということを示しているんですね。世界一企業が活動しやすい国にするのですから。お二人の師匠であったいとし・こいしさんから教えられた言葉「芸人は国のためにしゃべるな・目の前のお客のためにこそしゃべれ」をモットーに、1人で正義をぶって100年掛かる変革も、100人がかりなら1年で果たせる、そんな動きをこれからも生み出すために、一緒にやっていきましょうと頼もしい結びでした。たった15分だったけれど、たっぷりの思いが届きました。

続いては斉藤美奈子さんのお話「メディアと原発」。メディアが恐れるもの、それは“大手家電メーカー”“大手自動車メーカー”そして“電力会社”。もちろんそれは重要な広告主だからですよねと、上位10社の社名と金額が並ぶ。しかしもっと驚くのは電事連10社の合計は、第1位企業の広告料を超えるという事実。競合する企業などない地域独占で競争無用というのに。原発のリスクについては、「触れず」「目立たせず」「わかりにくく」という広告内容。・・・なるほど。

あちこちで使われる無駄にかわいいキャラたちが、どんなに恐ろしいことを語っていたか、動燃マスコットとして動画に登場したプルトくんがあっけらかんとかわいくひろめる言葉は「プルトニウムは青酸カリより安全だよ」「飲み込んだって直ぐには死なない」・・・ありえない!!

文部科学省は「原子力教育支援情報」をしっかり普及させるべく<原子力普及ポスター>だの<原発課題研究>を学校という権威を利用して、表彰制度などでやる気を出させ、積極的に啓発に努める側に立つ人を育てるという戦略を着々と実行してきていました。さすがにフクシマ以後は少し納まったかに見えましたが、現在は『原発は安全』から『放射線は安全』神話普及に方向が修正されています。反原発・脱原発と答える人が70%という現実は、安倍さんにとっては早急に変えなくてはならない課題なのだといえます。だからこそ、分断に気をつけて、メディアリテラシーをしっかり身につけ、暗くならずに元気に行きましょうという斉藤さんのお話は、大いに会場の人々のエネルギーを充填してくれました。

原発現地からの報告は4人の女性が登場。
鹿児島からの発言者、鳥原良子さんは、作られて28年にもなる川内(せんだい)原発の再稼動を絶対にさせないと手を尽くす現地の様子を伝えました。本来なら廃炉準備が進められなくてはならない年月がたっているというのにまったく検討の気配もなし。事故を想定した訓練もごくわずかの参加人数で役に立たない、県内で桜島や新燃岳が活動中というのに活断層はないと主張し続ける九電、経済効果最優先で再稼動を求める声との闘いは今が山場、12月15日の大集会への結集をと呼びかけました。

2番目は愛媛県の伊方原発から10㎞のところに住む斉間淳子さん。40年に及ぶ運動の中で、たくさんの嫌がらせを受けてきたけれど、3.11以後は変化があるといいます。改めて痛感することは、原発は過疎地にしか作られないのだということ。強力な力の前に、安全神話を知らず知らず刷り込まれていた自分自身。幾つもの裁判を闘ってきたなかで、家族が壊れる人たちもあった、現地で住み続けることは、まさに人権を掛けた闘いだと結びました。愛媛では、12月1・2日にNO NUKESの催しが準備されています。

休憩を挟んで後半は、新潟の小木曽茂子さん。最も早く再稼動が目論まれている柏崎刈羽からの報告でした。東電は2014年7月には再稼動させる予定というタイムテーブルを臆面もなく発表しています。今柏崎刈羽を留めることが、この国の方向を変える力になるのです、フクシマのなんと3倍もの地下水があるという現地、県知事は政財界からの「国に審査をさせないのはおかしいではないか」という強い合唱に、規制庁への適合申請を了承することになりました。これを受けて直ぐに東電は規制委員会に申請手続きを行い、準備を進めています。でも反対する人々は広がるつながりをさらに強め、日本の新しいエネルギー政策の転換点となるべく力を尽くしますと力強く発言しました。

4人目の現地報告は福島原発告訴団団長の武藤類子さん。彼女は今年のやより賞を受けることになったと報告、会場から暖かい拍手が沸きました。福島では、14716人の告訴団が組織され、毎日毎日地検前座り込み行動を実施。参加者は50歳以上に限定、1時間以内という制限で行い、報道もかなり増えてきたというのにオリンピック招致騒ぎのどさくさにまぎれて、あっさり不起訴。おまけに東京に移送するというだましの手口を使っての決定。強制捜査をしなかった理由を問うても答えは返ってきませんでした。現在は、東京の検察審査会に申立を行い、更に第二次申立人を募っているところです。「これでも罪を問えないのですか」と題して多くの人が寄せた声が1冊の本になりました。また来年5月には、東京と、世界中あちこちを結んで<女たちのいのちの大行進>を計画中。是非皆さん一緒にと呼びかけました。

最後は呼びかけ人のリレートーク。
宇梶静江さん、神田香織さん、崎山比早子さん、佐々木慶子さん、制服向上委員会の面々、大河原雅子さん、富山洋子さん、福島みずほさん、山崎朋子さん、渡辺一枝さんが、それぞれ熱くあるいはしみじみと、また元気に脱原発への思いを語りました。あっという間の中身の濃い3時間でした。
電源開発に大間原発建設中止を申し入れ
電源開発に大間原発建設中止を申し入れ
脱原発をめざす女たちの会は、6月1日、東京・千代田区の日本教育会館ホールで「脱原発こそ未来を拓く—いま、被曝から子どもを守ろう!6.1集会」を開きました。参加者は200人でした。

はじめに高橋哲哉さん(東大大学院教授)が「原発という犠牲のシステム——なぜ脱原発なのか」と題して講演しました。福島県内で高校時代までを過ごした高橋さんは、原発震災後はじめて福島県富岡町に入ったときのことから話を始めました。高橋哲哉さん講演要旨:咲き誇る桜と静けさのギャップ。福島県ぐるみ人権が保障されている憲法のらち外に置かれている。国は賠償金がふくらむことを恐れて、20ミリシーベルト以下という原発作業員と同レベルの汚染地域に住むことを強いている。チェルノブイリでは5ミリシーベルト以上の地域は移住の義務が課せられているのに、福島では移住の権利もない。国は戦後一貫して沖縄に犠牲を強いてきたが、エネルギーを得るための原発でも、隠ぺいされていた犠牲が事故であらわになった。原発は燃料の採掘から廃棄物処理の過程まで、そこで働く労働者が被曝し、過酷事故が起きたら膨大な犠牲が出る。この犠牲のシステムは人権を保障する現在の憲法では許されない。

休憩をはさんで、「被曝から子どもを守ろう」のテーマでパネル・ディスカッションを行いました。(パネルディスカッションの動画はYouTubeの「脱原発をめざす女たちの会チャンネルhttp://www.youtube.com/watch?v=_WYj_2AArSIでご覧頂けます)

コーディネーターの菅野久美子さんは福島から東京へ母子避難。さらに娘の小学校入学を機に今年、岡山県玉野市に移住。映像を使っての報告のなかでも「なぜ避難できたのか」「なぜ危険な場所にいることがわかったのか」という問いは切迫した状況が伝わってきます。ネットや知り合いとの連絡で必死に情報を得て、自身での状況判断が必要でした。避難者どうしの交流会、家族や福島の現状について人前で話すようになった経過なども紹介しました。“ほどよい田舎がよい”という岡山移住の理由はうなずけました。体験を語りつつ菅野さんはパネリストの話も引き出しました。

鹿目(かのめ)久美さんは神奈川県生まれで、結婚して福島へ。ログハウスをつくり自然の豊かさとともに暮らしていたが、娘の健康を守りたい一心でいまは実家で避難生活。福島では避難を決められない人も多いが、鹿目さんは家族ばらばらになってもと避難を決めた。「母ちゃんず」というグループをつくり、福島の子どもの保養を受け入れている。

二瓶和子さんは被災当時2歳の子どもと練馬区へ母子避難。移住したころは孤立していたし、福島では物がないのに東京では物が豊富で外遊びもできることに違和感をもったようです。収入を得るためや周りとつながるために手作りアクセサリーなどを販売。“チェルノブイルの悩みを自分が被害者になってはじめて分かった”という言葉が印象的でした。

小児科医の山田真さんは、原発震災後から子供の健康診断を続け「放射能から子どもたちを守る全国小児科医ネットワーク」を立ち上げました。「見守っているだけ。悲しい思いだ」という山田さんの言葉は、国の無策への怒りでもあります。森永ヒ素ミルク中毒事件の国の対応と比較して、原発事故の犠牲者への救済制度づくりの大切さを訴えました。

弁護士の仲里歌織さんは、「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク(SAFLAN)」などで弁護士として事故の被害救済に取組んでいます。映像を使って「原発事故子ども・被災者支援法」を解説し、医療費の減免をはじめとして支援法を実効あるものにすべきだと話しました。

ディスカッションでは、子ども被災者支援法を実効あるものにする緊急性が話され、参加者はそれぞれの被災者の伝え足りない実際を受け止めようとしました。

集会の最後には福島みずほさん(社民党党首)が国会報告を行い、あわせて鴨ももよさん(7月・参議院選挙に立候補予定)も発言しました。また大河原雅子さん(参議院議員)の参加も紹介されました。会場には書籍や食品、手作りアクセサリーなどの販売コーナーもあり、「女たちの会」らしい集会となりました。

電源開発に大間原発建設中止を申し入れ
脱原発をめざす女たちの会は、「原発なくても電気は足りてる」リーフレットを上野駅駅前で通行人の方たちに配布しました。現在、大飯原発3・4号機のみ稼動していますが、原発を稼動しているのは電力問題ではなく、電力会社の資金面の問題なのだと明らかになって来ています。しかし、地震の活動期で、日本列島のどこで、いつ地震が起きても不思議ではない状況で原発を稼動し続けることは、日本と世界を放射能の危険にさらし続けることに他なりません。6月1日の集会では、実際に原発事故の被害に遭われた方々からお話を伺います。ぜひ、集会にもいらして下さい。
電源開発に大間原発建設中止を申し入れ
電源開発に大間原発建設中止を申し入れ
リーフレットは100部500円(送料無料)です。
ご希望の方は「原発がなくても電気は足りているの?」(1号リーフレット)、「原発がダメなこれだけの理由」(2号リーフレット)の各部数をご明記の上、お名前(フリガナ)・郵便番号・ご住所・電話番号をメールかFAXでお申し込み下さい。

なお、お問い合わせは、脱原発をめざす女たちの会までお願いします。
電話:080−3174−3584
FAX:03−6551−1111
メール:info@nnpfem.com

お申し込みは「リーフレット申込フォーム」からお願いします。
電源開発に大間原発建設中止を申し入れ
脱原発をめざす女たちの会では、写真のような素敵なリーフレットを作成しました。原発推進派の「原発がなくては電気が不足し停電が起きる」という言い分がウソであることを具体的にわかりやすく説明する内容です。3月10日に有楽町で行った「さようなら原発 女たちの街頭リレートーク」で道行く人たちに配布しましたが、予想を上回るたくさんの方たちが受け取って下さり、最初に用意した部数があっという間になくなりました。

女たちの会では、一人でも多くの市民に、「原発がなくても電気は足りてるよ」と伝え、脱原発の声を確かなものにしていくために、今後も街頭でのリレートークとリーフレット配布を続けます。みなさまにもぜひこのリーフレットをご活用いただきたくご案内します。

リーフレットを配布して下さる方に、100部:500円(送料無料)でお送りします。
100部単位でお申込み下さい。
お申し込みは「リーフレット申込フォーム」からお願いします。
心よりご冥福をお祈り致します。
I女性会議の顧問で、元参議院議員(2期)、フォーラム平和・人権・環境副代表の清水澄子さんが1月14日、肺がんのため逝去されました。享年84歳。

清水さんは長年の労働運動や女性運動の経験に裏打ちされた活動家としてのアイデアパーソンぶりと、困難を突破する行動力を発揮され、私たちをいつも励まして下さいました。

これまでの活動に感謝し、心よりご冥福をお祈り致します。

なお、昨年亡くなられた「原子力発電に反対する福井県民会議」事務局長の小木曽美和子さんとは、福井時代からの長年の同志で、昨年7月に福井県で行われた小木曽さんを偲ぶ会には清水さんも参加されました。
電源開発に大間原発建設中止を申し入れ
キックオフから1年目。折しも衆議院選挙、都知事選挙を間近に控えた集会となり、各地で脱原発を主張する候補者をぜひ選びたいとの決意が拡がった。参加者は600余名。総合司会は橋本美香さん。まず2人のビデオメッセージから始まった。瀬戸内寂聴さんは「命をかけ、言いたいことを言い、次の世代を守って死のう」と。香山リカさんは「原発からの心理的逃避だけではいけない、行動に結び付けよう」と呼びかけた。

続いての鼎談は、満田夏花さん(Foe ジャパン)の司会で。 崎山比早子さん(国会事故調査委)、大河原雅子さん(参議院議員)、福島みずほさん(参議院議員)が今回タイトル「こうやって原発を止める」で話し合った。崎山さんは、「放射能は世代を超えて拡がる。防ぐ手立ては、原発を止めることでしかない」と。満田さんから「福島では子どもたちの4割以上に、放射線の影響によるしこりが見付かっている」との実態報告。福島議員は、「原発は、政府、国会、原子力規制委員会、裁判、自治体の5つで止められる。私は国会でぜひ止めたい。社民党はいま原発の全国行脚をし、危険性などの調査をしている」と。大河原議員は、「国会議員だからしなければいけないことは、‘脱原発基本法’をつくること」と続いた。 そこへ、都知事候補でただ一人脱原発を訴える宇都宮けんじさんが駆けつけた。大きな拍手で迎えられ、「福島原発の大半の消費地は東京で、東電の大株主は東京都。脱原発は人、環境にやさしい。みんなでそんな都政を作りたい」と訴えた。

休憩の後、女優の松田美由紀さんは「アーティストも脱原発の人は多いが、日雇労働なのでなかなか声があげられない。子や孫もおり、良い環境を残していきたい」と話した。 続いて各地からの報告。建設が再開された大間・あさこはうすの小笠原厚子さんは「隣接地の地権者として“あさこはうす発展プロジェクト”で、その地を子どもや動植物のための場所にし、原発建設を止めたい」と。島根の芦原康子さんは「工事は完成したが、燃料が装荷されていない3号機。1,2号機の差止訴訟はすでに行っており、3号機の訴訟を来春始める」福島原発告訴団長の武藤類子さんは「東電や原子力ムラの責任を問う刑事告訴で、6月11日の第一次告訴では福島県民の1324名が訴えた。被害は福島だけではなく、11月15日の第二次告訴では全国の13,262人が訴えた」と。浜岡原発本訴の会の佐野けい子さんは「16年裁判をしており、原告団長は90代、80代の長寿の女たち。脱原発運動は、長生きできる」と笑いを誘った。首都圏反原発連合のMisao Redwolfさんは、毎週金曜日の官邸前デモには、毎回2割は新しい人と報告。原発のない未来を・中野アクションの松井奈穂さんは仲間3人と横断幕を掲げ、福島の子どもたちの保養の取り組みを紹介。東本久子さんは高円寺に若者の拠点もある杉並の活動について、102才の人もいて、いろいろ話し合いながらしなやかに関わり、変えていく様子を語った。

女たちの熱い思いを12月の選挙に活かし、脱原発を実現したいと確認し集会を終えた。
11.23こうやって原発をとめる
電源開発に大間原発建設中止を申し入れ
10月17日、脱原発をめざす女たちの会は、電源開発(Jパワー)本社に対して、大間原発建設中止を求める申し入れと社前集会を行いました。11時30分に本社前集会を開始し、申し入れを行う5名を送り出しました。電源開発からは広報課長をはじめ5名が対応しました。初めに女たちの会から10月10日の院内集会での決議を示し、「世界で初めてのフルMOXの大間原発の建設をやめてほしい。電源開発はこれまで、水力発電や効率的な火力発電などを行ういい会社というイメージがあった。それだけに今回、原発、それも世界最初のフルMOXの大間原発の建設はとても心配だ。これからは自然エネルギーの開発の方がよほど会社として展望があるのではないか。大間原発はやめてほしい。」と強く訴えました。

再開を決めた理由を質問すると、会社側は「電源開発は電気を作って売る会社なので、電気の安定供給を行いたい。原子力は電気を作る手段として必要と考えている。10月1日に工事を再開したのは、HPに書いた通り位置づけがクリアになったと判断したから。」と答えました。「安定供給というが、今年の夏も乗り切れたではないか。」と言うと、会社側は「電気を作る立場からは、今年の夏が果たして安定供給だったのか。立場がちがい、平行線だ。」と答えました。

これに対し会から「原発は3・11福島第一原発の事故をみても、後始末に何万年もかかる。今大間の工事の進捗率が37%で経費は8500億円かかっているが、今ならまだ引き返せる。世界で初めてのフルMOXの原発で、事故が起きたら対処できるのか。何兆円以上もかかるし、毒性は福島の比ではない。日本全体がダメになってしまう。火中の栗を拾うというが、悪魔に身を売る選択だ。私たちは8月に大間に行ったが、海のへリで津波が来たらいっぺんに水をかぶる地形。原発の経験もない電源開発が、事故の危険を市民に押し付ける権利はない。」と批判しました。会社側は「福島を見て、絶対に事故を起こしていけないという点では一致している。そのために安全強化対策をとっている。」と答え、「フルMOXである点には何も対策をとっていないではないか。」と言うと、「MOX燃料は三分の一から増やしていくので対応できる。他社の経験や、敦賀にあった『ふげん』でMOX燃料もやっていたがそこでの経験を踏まえている。」と答えました。しかし「ふげん」がトラブル続きであったことは周知の事実です。

会からは更に「経産省は『業者の判断で再開する』と言っており、政府は責任を負わない立場。電源開発があえて推進する意図が世界中から問われている。」「政府は2030年代に原発ゼロをめざすと言っている。建設した途端に廃炉になるのでは。」と問いただしましたが、会社側は「政府は2030年代ゼロとも、片や原発は40年間運転するとも言っている。政策として決まったものではない。電源開発は風力発電では国内2位だが、風力は2000年から12年かかって18サイトしか進んでいない。原発をゼロにするには610箇所の風力が必要と言われている。やはり原子力は必要だ。」と答えました。

大間の敷地内や付近の海底に活断層があると言われている点については、「一部学者が活断層があると言っているが、既に調査しているので再調査は考えていない。」とし、「再調査すべき」という会の声には答えませんでした。また15日に函館の市長が申し入れに来たので、函館市民への説明について聞きましたが、「情報提供はしている。」、さらに追及すると「今後対応していきたい。」というにとどまりました。約束の20分となったので、「また来ます。」と伝えて申し入れを終わりました。

会社側の対応は、原発ゼロを求める市民感情を全く理解しようとしないものでした。地震や津波という自然の力、福島の事故が1年7ヶ月経っても全く収束していない現状、そして被災した福島を中心とする人々の苦しみから目を背けようとしているとしか思えません。本当に怒りを感じます。今後も粘り強く申し入れを続けていくことを確認しました。 本社前では次々と発言が続いていました。申し入れに行ったメンバーから報告を行い、最後に「大間原発をやめろ」「大間原発は大間違い」などとシュプレヒコールを行って、12時30分に集会を終わりました。参加者は50名でした。
電源開発に大間原発建設中止を申し入れ
大間原発建設中止を求める緊急行動報告
<経済産業大臣への申し入れ行動>

10月10日、午後1時30分より、経済産業省にて、大間原発の建設中止を求める申し入れ行動を行いました。大間原発建設地の地権者である小笠原厚子さんからの申し入れ書と、小笠原さんと「脱原発をめざす女たち有志の会」の連名による2通の申し入れ書を、松宮勲副大臣に手渡し、申し入れの趣旨を小笠原さんから直接副大臣に訴えました。

小笠原さんは、「福島事故被災者の苦しみが続いている中で、大間原発の建設工事が着工されたことは信じられない、しかも大間原発はフルMOXの危険な原発であり、漁業や農業の大間ブランドを損ない地域が汚されるばかりか、何かあれば地元だけでなくたくさんの人が被害にあう、日本のようなは小さな島国で地震や台風などの自然災害に見舞われる国に、原発はふさわしくない、自然エネルギーに転換してほしい。大間原発にはまだ燃料棒が入っていない、建設中止の英断の時期である、日本がどうやったら安心して生活できるようになるか、考えてほしい。」と切々と訴えられました。

同行した参議院議員の福島みずほさん(社民)、大河原まさ子さん(民主)や参加者から、「2030年代原発0方針から言えば、作ったらすぐ壊さなくてはならず、活断層の存在も指摘されるなど、再開は無理。」「工事認可は3・11以前のもので、新安全基準は来春出る予定なのだからそれまで待ってほしい。」「Jパワーは、建設中止なら今までの費用8000億円を国に要求するといっている。工事が進んでからやめるとなればもっと多額の費用を請求される。」「Jパワーは枝野大臣のお墨付きをもらって建設再開をした。函館市などは訴訟を準備して反対している。

「再開させた責任をどう考えるか。」などの発言がありましたが、副大臣は、「一度許可したものを覆す法的根拠はない。2030年代に0というのは、新エネルギーや海外資源の調達状況などを考慮しなければならないので、100%0というわけではない。新しい知見が出れば、バックフィットがあるので、規制委員会が対応する。事業者はシビアアクシデントも含めた新安全基準を考慮しなければならないが、規制委員会は環境省管轄である。」等、大間の建設がいかに民意に反し、危険なものであるかの実感がない内容でした。経産省が用意した多数の記者の取材や申し入れ直後のぶら下がり取材も、アリバイ証明のような感じでしたが、直接、小笠原さんと共に申し入れが出来たことは大きな収穫でした。

<緊急院内集会>

経産省申し入れ行動の直後から、参議院議員会館で、緊急院内集会を行いました。70人入れる部屋は、受付直後に満席になり、しばらく外でお待ちいただくことになってしまった方々には、本当に申し訳ありませんでした。別室も合わせて全体で180人の参加者で、皆さんの関心の強さが伝わりました。

集会はまず大間現地の様子を知らせようと、女たちの会が訪問した際のスライドや動画を見ていただくことから始めました。海岸線からごく近くに立つ建屋、その隣には、この日から動き始めたという大型クレーンの姿があります。海に突き出た突堤には、排水処理のための施設工事と思われる大型機械が置かれていますが、強風にあおられて2度も海水中に没したとか。そして何より参加者が驚いたのが建設現場から民家までの近さ。奥戸(おこっぺ)の人たちは8・9割が海で生計を立てていると聞いています。海水温が7,8度も上がるといわれる漁場では、たとえ大事故が起きなかったとしても現在の豊かな漁は望むべくもないでしょう。まぐろたちのパワースポットもあっという間に消えてしまいます。

次に、あさこはうすへ向かいます。完全にJパワーの土地に囲い込まれた飛び地への道は、両側をフェンスで囲まれ複数の監視カメラが常時人の出入りを見張り、監視員が常駐する監視小屋だけでなく、朝夕チェックに来るという警備員もいます。

いつ突然封鎖されるかもしれないこの道を維持するために小笠原さんが考えたアイデアは、せっせと通う郵便屋さんでした。毎日人が通るという事実をしっかり示すためにも、あさこ郵便は大事です。

かわいい手書きの看板が迎えてくれるあさこはうすは、エネルギー自給100%を目指すアイデアと努力の賜物。地下水をくみ上げるための風車、温水や電力を生み出す太陽熱の活用、暖を取る薪ストーブ、どれもまだ十分とはいえませんが、夢ではなく形として確かにありました。その前で厚子さんが語る、子供達が存分に育つ場所としてのあさこファームも、既にそのあゆみをはじめていることがよく皆さんにも伝わったようでした(スライドショウは、全体プログラム終了後、見られなかった人たちのために再上映しました)。

次に、事務局から資料にもとづき、大間原発の開発の歴史と、危険性について詳細な説明を行いました。続いて、経産省申し入れから戻った小笠原厚子さんが、お母さんの熊谷あさこさんが一人だけ土地の買収に応じなかったために受けた数々の嫌がらせや圧力を具体的に話されると、会場はしんとなりました。そして、経産省での訴えを行ってきたことの報告もしていただきました。経産省に同行した福島みずほ参議院議員から、原発立地地域への視察の報告を含めて、経産省への申し入れの状況を補足していただき、会場に参加していた、青森県出身の共産党高橋千鶴子衆議院議員、国民の生活が第一の姫井由美子参議院議員からも、大間原発建設中止の発言がありました。

また、会場からの発言で、小笠原厚子さんへのカンパ要請をしようということで、カンパをお願いしたところ、44000円ものカンパが集まり、会の終了後、小笠原さんにお渡ししました。会場からは、私たちの生活そのものを見直すことも大事だという発言もありました。

今後の取り組みとして事務局から、17日(水)11:30から銀座にあるJパワー本社への建設中止の申し入れを行うこと、小笠原さんがお母さんの意思を継いで始めようとしている、子どもたちと動植物が触れ合える空間づくりとしての「発展プロジェクト」の紹介と協力要請を行いました。そして、参加者一同で集会決議文を採択して会を終了しました。
大間原発建設中止を求める緊急行動報告
2012年7月15日 映画上映会
脱原発をめざす女たちの会では、7月15日に前日映画上映会(鎌仲ひとみ監督作品「内部被ばくを生き抜く」)を行い、会場に満員の200余名が参加。福島原発告訴団団長の武藤類子さん、電力会社の株主訴訟運動事務局の木村結さん、福島みずほさん、大阪、福島、大分など各地からの参加者の発言がありました。
7月16日、さようなら原発10万人集会には「女たちの会」のキルト旗や幟とともに約100人が参加し、原宿コースをデモ行進しました。17万人が参加した集会の熱気はすごいものでした。この力でなんとしても再稼動を撤回させましょう。」
2012年7月15日 映画上映会 画像
心よりご冥福をお祈り致します。
「原子力発電に反対する福井県民会議」事務局長で、高速増殖炉もんじゅ訴訟の原発設置許可の無効確認請求と民事差し止め請求、行政訴訟の原告団事務局長を務め、「脱原発をめざす女たちの会」呼びかけ人でもあった小木曽美和子さんが24日午前、がんのためご逝去されました。

これまでのお働きに感謝し、心よりご冥福をお祈り致します。

小木曽さんは昨年の脱原発をめざす女たちの会のキックオフ集会にもご参加下さいました。
以下、昨年の発言を掲載します。

「原子力発電に反対する福井県民会議」の小木曽と申します。高速増殖炉もんじゅに反対して36年が経ちます。福井県の若狭湾には、すでに9基の原発が運転・建設中でした。その中で反対とはとても言えるような状況ではなかったのです。つまり、原発はすでに地域の産業の中核になりつつあり、立地自治体の財政の担い手であったのです。

しかしそのときに高速増殖炉もんじゅの建設問題が敦賀市白木地区に起こりました。私たちが反対したのは、この高速増殖炉もんじゅが普通の原発、軽水炉とは比較にならない、超危険性を持っているがゆえにです。だから反対しました。そして私たちが危惧したように、その超危険性の一つ、冷却材に使うナトリウムが漏洩して、16年前の12月8日に火災を起こし、以後14年5カ月、運転の停止に追い込まれたのです。

このときに、この事故の二年あとですが、このもんじゅをどうするかという議論が行われました。そして、これはもうやめておこうという議論、それからもう一つ、圧倒的に多かったのが、5,900億円も建設費にかけてしまった、それをパーにするのはもったいない、だからもう少し続けよう、そして費用対効果を見ながら続けていこうではないかという議論が制しました。そして続けた結果がこのナトリウム事故だったのです。

あっという間に14年5カ月、何もしないままに、ただもんじゅをあたためるためにだけ、毎日、1日5,500万円、1年で200億円以上の金をかけて、国費をつぎ込んできました。そして今、政府の仕分け事業の中で、これほどの無駄はないということで、考える対象になってきました。

しかしこれは来年の5月のエネルギー環境会議で、最終的にこれをどうするか、廃炉にするのか、この原子力政策、核燃料サイクル政策を続けるのかどうか、その結論が持ちこされるわけです。それに向かって私たちは今もう一度、日本の原子力政策の根幹としてきた核燃料サイクル政策の中止、もんじゅの廃炉、再処理工場の中止を強く訴えていかねばなりません。国策といえども命を超える国策があってはいけません、あるべきではないのです。再度訴えたいと思います。 

2011年11月23日

⇒動画はこちらから
女たちの脱原発宣言
小木曽美和子さんは、2003年1月27日、名古屋高裁金沢支部でもんじゅ訴訟の逆転勝訴判決を聞いたとき、「大変ほっとした。正論が通るまで17年半も費やした。法廷で判決を聞いて一滴の涙が流れた」と、とても喜んでおられました。私も心の底から、裁判を続けて来て本当に良かったと思いました。

私は1964年、理工系ブームに乗って東京大学に入り、核物理学を専攻して大学院に進学しましたが、中退してソフトウェアの会社に入りました。高速増殖炉「もんじゅ」の蒸気発生器において熱がナトリウムから水に如何に移行するのか計算するプログラムも作りました。技術計算書類の中で、ひらがなで古典的で宗教的な「もんじゅ」という名前が不思議な響きを持っていました。気になって調べたら、「ウランを燃やしながら燃やした燃料以上の燃料(プルトニウム)を作る夢の原子炉」「日本の技術の塊であり、プルトニウムは国産エネルギー」という宣伝が、原子力開発を始めた直後からなされていることが分かりました。技術的にとても難しいので海外では撤退しつつあるのに、日本では核燃料サイクル路線を推し進めようとしていたのです。

1983年に弁護士になり、原子力訴訟研究会に参加していたら、海渡雄一さんから「もんじゅの裁判をやりませんか?」とにこにこ顔で勧誘されました。福井の人たちが「せめてもんじゅだけは阻止したい」と言って「原子力発電に反対する福井県民会議」をつくり、事務局長の小木曽美和子さんが高木仁三郎先生と相談し、「裁判をやるべきだ」という話になったそうです。小木曽さんにお会いしました。ジャーナリストだけあって読ませる文章は書くし、話も迫力があるし、頼りがいのあるお姉様という印象でした。小木曽さんは、様々な考えを持つグループを母体とする原告を大切にし、実によくまとめておられました。原告が一丸となって長い活動を続けて来られたのは、小木曽さんの人間性と、迫力と、ぶれない態度と、積み重なる仕事は全て正確に処理するという能力に負ったところがとても大きいと思います。

小木曽さんは裁判を起こす前、「事故の危険性は国の将来を左右する。15年は覚悟し、長期裁判を闘い抜こう。」とおっしゃっていました。裁判は当初から「どうやって証拠を提出し、証人を立てていくのか」という立証の問題がつきまとっていたからです。軽水炉は商業炉ですからアメリカの技術をそのまま導入しています。アメリカの情報公開制度を利用すれば情報を入手することは可能でした。しかし高速増殖炉の研究はフランスが先行していましたが官僚国家ですので情報は開示されません。

日本では国産エネルギーを自前で開発しようとして、動力炉核燃料開発事業団(現在は、原子力研究開発機構に統合)を中心に実験データの蓄積が進んでいましたが、わずか基礎データしか公開されていませんでした。小木曽さんは京都大学原子炉実験所の小林圭二先生にアタックして証人を引き受けて頂きました。もちろん弁護団もアタックしましたが、迫力はずっと小木曽さんが上でした。1985年4月25日の第1回口頭弁論で原告団代表の磯辺甚三さんは「科学よ、おごるなかれ」と叫び、小木曽さんは原発が集中する福井県にもんじゅを設置することの危険性を訴えられました。そして、その翌日にチェルノブイリ事故が起きて、世界中を驚かせたのです。

小木曽さんはもんじゅ原告団の中心であると同時に、県民会議の中心でしたから、敦賀原発の放射能漏れ、美浜原発の蒸気発生器細管破損事故などの問題にも取り組んでおられました。小木曽さんは、1回1回の裁判をとても大切に考えておられました。マスコミにレクチャーし、原告や傍聴人に裁判の要点を書いたチラシを配布しましたから、その努力たるや大変なものだったと思います。だからこそ、2000年の福井地裁全面敗訴では悔し涙を流し、名古屋高裁金沢支部の全面勝訴判決では喜びの涙を流したと思われます。小木曽さんは弁護団と原告団の会議も中心となって司会し、弁護団と原告団が遊離しないよう、一致した方向性を示してくれました。

名古屋高裁金沢支部の逆転勝訴判決は、2005年5月最高裁によって再逆転敗訴となって仕舞いました。でも、福島原発事故の後、小木曽さんが「もんじゅで事故が起こったら、放水することはできません。放水すればナトリウム爆発します。もんじゅ事故がおきたらどうなるか、よく考えてください」と発言なさったとき、もんじゅで核暴走がおきたり全電源喪失により冷却が困難になったりしたらどのような深刻な事態が発生するのか、その怖さを目の当たりに見るようでした。

小木曽さんが、もんじゅ廃炉の日をご覧にならずに亡くなられたことは、とても残念です。もんじゅは風前の灯火のような状態ですが、正式に廃炉が決定する私たちは闘いをやめず、廃炉決定を墓前に報告したいと思っています。安らかにお眠りください。

2012年6月25日
福武公子(元もんじゅ訴訟弁護団事務局長)
池島芙紀子の言葉
又一つ、大きな反原発の星が消えました。余りにも早く、心の準備も出来ないうちに。 二月の始め頃、「腹水がたまって、食欲がなく、病院で調べたけど原因が分からなくてね」という電話をいただいてから、わずか四ヶ月、私達が大飯原発再稼働反対の取り組みに追われている間に、急速に病状が進行されたのでした。

三月末には、しっかりとした文字のお手紙を頂きました。ガンであることが記され、最後に「もんじゅをよろしく」と書かれていました。新聞に大きなインタビューの記事が載り、写真の表情が聞いていたのよりお元気そうなので、すっかり騙されてしまいました。すぐに励ましの手紙を送ったのですが、かなり衰弱してしまわれたのでしょう。もうお返事はありませんでした。気になりながらお伺いしなかったのが悔やまれます。

六月八日、福井平和センターの水上さんからのお電話で、「主治医から、もう長くないと言われているので最後のお別れを」と言われ、急きょ、小林先生にも連絡し、大島と三人で福井のご自宅へ伺いました。意識はしっかりして、感謝の言葉を言われるのですが、余りのお姿に、なかなか言葉が出ませんでした。

私が初めて小木曽さんにお会いしたのは、二七年ほど前の事。故高木仁三郎さんからお知らせを受けて、三井寺での全国反原発運動連絡会に参加した時だったと思います。三十人程度の男性達の中で、紅一点の人、それが彼女でした。その三年後、私が、ストップ・ザ・もんじゅを設立した時に、「百万の見方を得た気分だ」とスピーチして下さったのが、昨日の事のように思えます。

以来私も、「もんじゅ」訴訟の支援や、「もんじゅを廃炉へ!全国集会」への協力に全力を尽くしましたが、彼女も又、関西での集会や脱原発政策実現全国ネットワークが行った院内集会やヒヤリングに、二つ返事で引き受け、発言して下さいました。二〇〇八年の秋、「もんじゅを廃炉に!関西集会」で力強いく「もんじゅにこれ以上の無駄遣いを国民は許してはなりません」とスピーチして頂きました。映画「山のかなた」の中にそのスピーチを入れたところ、大変気にいって下さり、DVDをたくさん買って広めて下さいました。

もっともっと長生きして、がんばってほしかったのに残念でなりません。ご冥福を祈ると同時に彼女の意志を継いで福井の運動がより強まる事を心からお祈り致します。

ストップ・ザ・もんじゅ 池島芙紀子
原発再稼働撤回
内閣総理大臣 野田佳彦 殿

脱原発をめざす女たちの会

あなたは、6月8日の会見において、大飯原発3・4号機を早期に再稼動すると表明されました。あなたが提示した再稼動の理由は、つまるところ3つです。

第一に、「福島を襲ったような地震、津波が起こっても事故を防止できる対策と体制は整っている。」第二に「今夏の関西での15%もの需給ギャップはきわめて厳しい水準。計画停電になれば、日常生活や経 済活動は大きく混乱する。」第三に「原発を止めては日本社会は立ち行かない。夏場の短期的な電力受給の問題だけではない。電力価格が高騰すれば、小売店や中小企業、家庭にも影響が及ぶ。国民生活は守れない。」

これらの理由に納得する国民はほとんどいないでしょう。

なぜなら、第一に、福島第一原発事故の原因も究明されず、事故の収束も見えない中で、同じような事故は起こらないと断言できる根拠がないからです。大飯原発3・4号機では、時間とお金のかかる安全対策は先送りされたままです。免震重要棟は建設されておらず、ベント時に放射能を除去できるフィルターは未装着、防潮堤のかさ上げも完了せず。ただ電源車を海抜33mの高台に配置したというだけで、「炉心損傷事故は起こらない」となぜ断言できるのでしょうか? そもそも福島第一原発の損傷は津波の前に地震によってもたらされているとの論証もあります。明日にも地震が起きないという想定は誰にもできません。

第二に、今夏の電力受給のギャップが関西電力管内で15%に達するという予測についてです。これは全国の10電力会社総計の需給ギャップではありません。東京電力のように原発が1基も動いていなくても電力に余裕のある電力会社もあります。お互いに融通しあえば済む話ではありませんか。また独立系発電事業者や自家発電能力を持つ大企業群を総動員すれば、電力不足は起こらないのです。「計画停電になれば」というのは単なる脅しにすぎません。

第三に、中長期的なエネルギー政策の策定もされていない現在、「原発を止めては日本社会は立ち行かない」などと結論つけることはできないはずです。再生可能な自然エネルギーの活用や石油・天然ガス利用の可能性を検証し、原発比率を抑えながら脱原発社会を実現することこそ日本社会が立ち行く道です。日本のみならず地球環境全体を守る道です。

「国民生活を守る」ために大飯原発3・4号機を再稼動するというあなたの発言は、まったくのまやかしです。もっと率直に「電力会社の利益を守るために、国民の命を差し出す」と言うべきでしょう。大飯原発のみならず、順次再稼動の手続きを踏むという発言は、政府において安全性の前に「まず再稼動ありき」の方針が決められていることの表明です。私たちは、大飯原発3・4号機の再稼動に反対し、方針の撤回を求めます。

2012年6月14日
脱原発をめざす女たちの会 代表 吉武輝子
吉武さん写真
私は1977年に、女性解放やいろんな運動の人たちに推されて参議院の全国区の革新無所属として立候補しました。そのときのスローガンは「つくろう、後始末のある政治」と、そして反原発と反憲法改悪、それを二本の柱に掲げました。

日本はまだ女は内で男は外で、そして会社でも庶務係には女の子がいて、出張の後始末なども全部やってくれています。ですから、ほんとうに日本の男の人たちは後始末の思想がない。考えてください。

原発は後始末ができますか。戦争は後始末ができますか。これから私たちが後の世代に残すのは、安全で平和な社会です。どうか、次の世代の人たちは、平和で安全に生きるために、一人一人が後始末の思想を持って、脱原発、NO!戦争、その旗印を高々と掲げて、次の世代に引き渡してください。
吉武輝子さんのメッセージ下側
6.2集会見出し
6.2集会写真
「もう原発は動かさない!発信する女たち6.2集会」が、日本教育会館(東京都千代田区)で開かれました。5月5日からの「原発ゼロ」を継続させたいと。ところが夏の電力不足の懸念を理由に、関西の自治体は再稼動‘容認’に変わりました。政府も来週には最終決定をするという状況での集会となり、460余名が集まりました。

最初舞台に映し出されたのは、4月に亡くなられたこの会の代表の吉武輝子さん追悼のビデオ。昨年11月のキック・オフ集会時の映像でした。総合司会は、制服向上委員会の橋本美香さん。端的な言葉で、さわやかな司会。開会挨拶に続き、突然のスぺシャルゲスト加藤登紀子さんの登場。脱原発への思いを込めた新曲が披露されました。満田夏花さんからは、避難と除染のはざまでゆれる福島の現状や、わずか3日で作られた「新安全基準」の再稼動問題などについて、端的な報告がありました。

パート1は、大竹しのぶさんのビデオメッセージから。田中優子さんは、脱原発は反核・非戦・非暴力と共にあることが重要なのだと指摘。再稼動は多様な新しい経済のチャンスを潰すと。神田香織さんは、チェルノブイリ事故の大量被曝で姿が次々変化していく、愛する夫を見守るリューシャの物語を講談で。渡辺一枝さんからは、フクシマに通い、フクシマに生きていく決意を。映画監督の坂田雅子さんは、アメリカの核実験で50年後も戻れないマーシャル諸島の人々への連帯の赤い花を髪に飾り、脱原発への思いを。上野千鶴子さんは、勝たなくても負けないでい続けよう!と、各々発信しました。

パート2は「福島に生きる選択」「福島を離れる選択」をした若い4名の女性からの発信で、コーディネートは古今亭菊千代さん。福島をすぐ離れる決断をした人、友人は次々避難したが、留まる決意をした人。いずれにしろ、離れる・留まるということを自分で決意することが大切と語り、どちらにいようと、みな人々との繋がりや支援の活動をしている女性たちです。「福島を忘れないでください!」という言葉に、菊千代さんは「忘れるなんて、とんでもない」と応えました。

会場からは「若い人は、自分の身体を守って」との発言や、参議院議員の大河原雅子さん、福島みずほさんからの連帯のアピールもありました。福島から来てくれた4人の女性たちに向けて会場から10万円を超えるカンパが寄せられ、それぞれのグループにお渡ししました。

当日の様子は以下のチャンネルでご覧頂けます。

IWJチャンネル
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/17786

葛飾市民テレビ(各プログラムごとに分割)
http://www.ustream.tv/channel/ktv2001
4.7集会見出し
4.7集会写真
2012年4月7日(土)、千代田区一ツ橋にある日本教育会館ホールにおいて、「脱原発をめざす女たちの会 4.7集会~もう原発は動かさない!女たちの力でネットワーク~」が開催されました。大飯原発再稼働へ向けた動きが加速する中、脱原発を求めて約600人の参加者が集まりました。

前半の講演で落合恵子さんは、「起きてしまった原発事故を起きなかった事にはできないけれど、現在と未来を変えることはできる。だから、皆さん元気で、ヤマンバとなるまで長生きして、脱原発を目指しましょう」と呼びかけました。中盤にはRAPMAM+がパフォーマンスを行い、原発事故は人間ばかりでなく、全ての命への加害であるというメッセージを発信しました。後半のパネルディスカッションでは、映画監督の鎌仲ひとみさんのコーディネートで、原発立地地で脱原発の声を上げ続けている女性たち、あさこハウスから小笠原厚子さん、花とハーブの里から菊川慶子さん、ハイロアクションから武藤類子さんが登壇され、現地の“いま”について切実な状況を報告し、全国からのサポートが力になると訴えました。

パネルディスカッションでは会場からも発言が相次ぎ、海外での取り組みの報告や、経産省前座り込みの現状報告と協力の呼びかけ、もんじゅ訴訟弁護団の活動報告なども飛び出し、「女たちこそが頑張って、“原発をなくした”と歴史に書き込もう」という鎌仲さんの声に満場の拍手が沸き起こりました。最後には、呼びかけ人の一人が「大飯原発の再稼働を絶対に許さず、泊原発が止まる5月5日には、子どもたちに原発ゼロをプレゼントしましょう」と呼びかけ、脱原発への決意を新たにする集会となりました。

4.7集会で感じた熱い思いをご自宅でも!
脱原発をめざす女たちの会「もう原発は動かさない!女たちの力でネットワーク4.7集会」は次のチャンネルでご覧頂けます。ご自宅でもぜひご覧ください。

IWJチャンネル
http://www.ustream.tv/recorded/21650521

葛飾市民テレビ(各プログラムごとに分割)
http://www.ustream.tv/channel/ktv2001
2012年3月11日 福島県民大会
「脱原発をめざす女たちの会」のぼり旗を掲げて集会に参加したみなさん。当日は多くの参加者のもと、地元からのアピールと加藤登紀子さんなどの歌声に会場は一つになりました。
2012年3月11日 福島県民大会 画像
2011年11月23日 キックオフ集会
キックオフ写真
脱原発をめざす女たちの会キックオフ集会は11月23日、参加者410名をもって無事終了いたしました。事務局もうれしい悲鳴をあげるほどの参加申し込みがあり、女性たちがいかに脱原発を真剣に目指しているかがうかがわれました。

会場に入れず、第2、第3会場にまわっていただいたたくさんの皆様、ご協力下さいましてありがとうございました。また、当日いらして下さいました方で会場に入れずお断りせざるをえなかった方には大変申し訳なく思っております。せっかくおいでいただきましたのに申し訳ありませんでした。

当日の様子を記録した動画がニコニコ動画、およびYouTube福島みずほチャンネルにアップされていますので、是非ご覧ください。(ニコニコ動画の視聴には無料のユーザー登録とログインが必要です)
キックオフ写真
女たちの脱原発宣言
東日本大震災と津波に起因する福島第一原発事故によって、多くの人々が家を追われ、生活を壊され、思い描いた未来を奪われました。大都市部の電力需要をまかなうために、経済難にあえぐ地方に押しつけられた原発は、計画当初から事故の危険性を指摘されてきました。しかも、放射性廃棄物を処理する方法はありません。にもかかわらず、原発を推進するために政府と電力会社などは「安全神話」を流布し、市民を欺いてきました。その結果起きたのが福島原発事故なのです。

原発推進派の人々は言います、「原発がなければ日本の経済活動は成り立たない」と。しかしそうでしょうか。原発がなくても電力は足りるという試算があります。自然エネルギーを促進することによって、さらなる電力を生み出すことも可能です。この狭い地震国に17か所54基もの原発が乱立するのは危険です。この状況は、男性優位社会における利潤追求を最善とする価値観の象徴ともいえるでしょう。

被爆国日本で反核の街頭署名にたちあがり、日本と世界に核廃絶運動を広げる原動力となったのは女性たちでした。その女性たちの力で、今再び世界に新たな価値観を示し、原発に頼らない社会を実現したいと、私たちは願っています。

危険な土地、危険な水、危険な空気を次世代に残すことはできません。福島原発事故を人類最後の原子力災害とするために、私たちは今日ここに集いました。私たちは、放射能におびえる暮らしを未来に遺すことを断固拒否し、ここに宣言します。

原発はいらない。


2011年11月23日
11.23キックオフ!「脱原発をめざす女たちの会」参加者一同
キックオフ集会DVD
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