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これまでの活動
脱原発映画デー
11月23日、小出裕章さん、武藤類子さんを迎え、「脱原発をめざす女たちの会」の集会が、浜離宮朝日ホールで行われた。

小出裕章さんのお話

国は汚染地域に人々を棄てた
私が働いていた京都大学原子炉実験所は、大阪府の和歌山県に近い泉南郡という人の住んでいない10万坪の中にある。放射線管理区域内は、飲食、排泄は禁止で、ドアが開くのは放射線が1平方メートル当たり4万ベクレル以下の場合。汚染を持ち出さないため。
福島原発事故の後、政府が作った地図によると、6万ベクレルを超える所が多く、もとの法令では福島県の東半分、宮城県と茨城県の南部と北部、栃木県と群馬県の北半分、千葉県の北部、岩手県と埼玉県と東京都の一部が、放射線管理区域にしなければならない汚染があった。2011年3月11日に発令された「原子力緊急事態宣言」は4年半たった今も解除されず、その努力もされず、人々は汚染地に棄てられたまま。
人々は汚染を忘れたいと思うし、国は積極的に忘れさせようとしている。被害者同士は分断され、加害者(東電と国)は無傷のまま原子力を進めようとしている。大切なことは、どんなに辛い事実も視つつ、被害者が団結して加害者と闘うこと。

原子力を進める本当の理由
日本にはこれまで、58基の原子力発電所が建てられた。集めた原爆材料のプルトニウムの量で、長崎型原爆が4,000発作れる。朝鮮民主主義人民共和国脅威論が語られるが、3発しかできない量だ。国連常任理事国の米、露、英、仏、中の5ケ国は戦勝国であり、核保有国である。核兵器製造のための中心3技術は、ウラン濃縮、原子炉、再処理で、5カ国以外にその技術を持つのは日本のみ。「原子力の平和利用と言いながら、それに隠れて実質的な核保有国となり、核武装の道を着々と進めている。

大切な自己責任
原子力と戦争は通底している、とつくづく思う。日本は戦争責任を曖昧にしてきた。戦後主権を回復したというが、沖縄を米軍の施政下に棄てた。1972年に本土復帰したというが、いま知事をはじめ沖縄県民が一致して反対しても、新たな基地を押し付けようとしている。
ヴァイツゼッガー(元ドイツ連邦大統領)は「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」と言った。かつての戦争時、多くの日本人は戦争に協力した。私はこれまで戦後を生きてきたと思っていたが、最近新たな戦前を生きているのではないかと思う。安倍政権が戦争への道を着々と敷いているいま、1人ひとりの責任で考え、視野を広く持ち、たくさんの課題と連帯し、行動しなければならない。
以上のような小出さんのお話は、工学者であり、同時に社会学者、哲学者から、現代に生きる私たちへの懸命なメッセージと思え、心に響いた。

武藤類子さんのお話

福島では、三春町に11月「環境創造センター」が発足した。新たな原子力安全神話を広め、避難者の帰還政策を進めている。10月には、線量が高い所のある国道6号線の清掃作業に、中・高校生の1、400人が招集された。 福島の災害関連死は、津波で亡くなった人の数をはるかに超えた。 福島原発告訴団の15千人が刑事告訴した事件は、検察審査会が、「起訴すべき」と断じ、東電元会長など3人が強制起訴されることになった。来年にも裁判が始まり、5年目にようやく刑事責任が問われようとしている。 私たちは、あきらめず、つながり、1人ひとりが自分で考える、という3つのキーワードで取り組んでいる。

呼びかけ人の3人からアピール

まず、参議院議員の福島みずほさんから。大飯原発と高浜原発の差し止め訴訟第一審判決を拡げ、何としても高速増殖炉もんじゅを廃炉にしたい。しぶとく、しなやかに、安部総理の天敵としてこらからも頑張って行きたい。 次いで、前参議院議員の大河原まさこさんから。脱原発基本法が出来なかったのは、何としても残念だった。これからもやっていく。 最後は、青森から参加の大間原発建設阻止に取り組むあさこはうすの小笠原厚子さんから。原発も戦争も反対。それをみんなさんといっしょに行っていきたい、と連帯のアピールをした。
会場は定員の400人の参加者で満員。終わって帰途に向かう人たちから、「とても良い集会だった」という声が次々に聞かれた。ロビーで呼びかけた「戦争法廃止2000万人署名」には隣の音楽ホールを訪れた参加者からも飛び入りで署名する人がいて、反響を呼んだ。

ゴメンだね!原発も戦争も!-集会報告-
電源開発に大間原発建設中止を申し入れ
6月19日午後、参議院議員会館講堂で、「小さき声のカノン」上映と鎌仲ひとみさんトークを実施しました。

いつも「脱原発をめざす女たちの会」集会に来てくださる皆さんも、沖縄辺野古新基地建設を推し進めるむき出しの暴力を止めさせたいという活動や、政権が急速に進めようとしている戦争法案の国会審議をどうしてもストップさせたいという思いで各地で駆け回っていて、果たしてどれくらいの方が来てくださるか、宣伝が行き届いていないのではないか、ちょっと心配でした。 でも、ふたを開けてみると続々のご参集、100名近い参加でホッとしました。

「内部被ばくを生き抜く」、「ミツバチの羽音と地球の回転」、「六ヶ所村ラプソディ」など、矢継ぎ早に制作発表を重ねてきた鎌仲ひとみさんの、当事者の人たちとつながり、彼ら彼女らの気持ちをしっかり共有しあいたい、当事者の思いこそを中心に、社会は変わらなくてはならないという揺るがない確信にあふれた作品です、エンディングテーマ曲NUUさんの「うまれてきたから」が響き渡り、会場がすっかり明るくなるまで、席を立つ方もほとんどなく、大きな拍手がわきあがりました。

講堂は、非常口照明がかなり明るくて映画上映に最適とはいかないのですが、議員の参加も多く、思わず感動を口に出さずにはいられないという様子でした。

多くの方がそれに続く鎌仲ひとみ監督の話を最後まで聞いてくださり、全シナリオ掲載のプログラム50冊も残部なしという状態、次の上映会を開くという声を期待して、無理を承知で行った有料試写会(参加費500円)でしたが、それほど大きな持ち出しにはならずに済みました。

チェルノブイリのような保養システムが全くないどころか、「安全宣言」や「帰れコール」が強まる今日、フクシマで暮らす人たちや避難生活を強いられている人たちが孤立せず少しでも安心できるように、保養のための取り組みがもっと大規模にそして継続的に動き出さなくてはならない、と痛感した人がいっぱいでした。

この映画上映がもっともっと広がり、各地で行われることが、きちんとした保養の仕組みを作らせることにつながると確信しています。

次の上映会はあなたの地域で。
幌延深地層研究センター
本会では、昨年12月18日に続き、3月11日に2度目の「日本と原発」上映会を実施した。この映画は、全国各地で自主上映されているが、どこでも好評である。会としては、この映画を多くの方に見ていただくために、賛同金の一部を使って、首都圏以外を中心に自主上映される団体に補助金を支出することも決定し、すでに11団体への応援を決定したところだ。

今回は、上映の間に、映画にも出演されている元経産省の官僚で、退任後脱原発などの活動を展開されている古賀茂明さんの講演をお願いすることにした。第1回目の参加者と第2回目の参加者が一緒に講演を聞くということで、参加人数が不確定の中、当日は、予備の椅子をたくさん出し、見事に会場いっぱいの聴衆でお話を聞くことになった。1・2回目の参加者合計で240人であった。

映画は、今回も「本当にいい映画だと思う。」という感想が聞かれた。被災者の話には、すすり泣く声も聴かれた。古賀さんの講演では、まず、原発を止める理由として、原発のごみが処理できないこと、日本の原発は立地的にきわめて危険であること、が挙げられたが、それだけでは説得力はない、むしろ原発が無い方が経済成長できる、日本人らしい生き方として、欧米の科学主義に対して、自然と共に生活してきたことを大事にすべきだ(ドイツの大使から指摘)、などを挙げる必要があると話された。自然エネルギーの比率では欧米では2005年以降発電量が伸び、コストも下がってきたが、日本は電力会社の妨害もあり、遅れを取っている。自然エネルギー後進国であるとも言われた。原発推進側が言う、自然エネルギーの不安定性では、スペインはすでに全国の気象データを把握し、自然エネルギーの振れ幅をしっかり調整できるような技術を開発しているとのこと。日本でもできるはずだと思う。

古賀さんは、報道ステーションのIS人質事件についての発言で、官邸から番組に圧力がかかったことも紹介し、3月27日の出演が最期になりだろうと言われた。この問題を巡っての古賀さんの抵抗活動も紹介されたが、権力に媚びない、言うべきことは言う姿勢に参加者から拍手が起きた。話の中で驚いたのは、人質事件などで入手した外務省の情報は日本だけでなくすぐにアメリカにわたり、それを知っての安倍の言動だということ。安倍は、明治期の日本国家への憧憬があり、列強諸国に並びたいという願望を持っていて、所信表明では岩倉具視などを盛んに引用していたが、引用するなら、戦後の日本の復興であろう。戦後70年間、9条のおかげで、戦争せず、外で人を殺していない世界で稀な国であるが、列強の仲間に入りたい安倍は、アメリカの動向を意識しながら、発言している。

そして、今の日本の政治状況を分析し、リベラルで改革志向のフォーラム4を立ち上げる積りだと締めくくられた。ユーモアがあり、何度も笑わせながら、しっかり核心に迫る話に参加者は時間がもっとあればと思ったに違いない。またお話を聞く機会があればと思った。

幌延深地層研究センター
幌延深地層研究センター
11月から劇場公開されていた「日本と原発」という映画は、大変な評判で満員で入れない人が続出しているという話が伝わってきた。監督は、日本全国の原発訴訟弁護団長を務めている河合弘之さん、構成と監修を訴訟団で共に活動してきた海渡雄一さん、そして音楽はあの佐村郷地事件で影の作曲家としてむしろその実力を評価されている新垣隆さんという豪華メンバーの手になる作品だ。

参議院議員会館で上映会を開催しようと相談してから、短期間で情宣も十分にできない中で迎えた当日。どのくらいの人が来てくれるかという不安を吹き払うように、会への電話には、当日参加でいいのかという問い合わせが多数寄せられ、13時の開場前12時過ぎには会館のロビーで待つ方が目立つようになり、逆に椅子席の不足を心配するほどになった。

1部の始めには会の一員で会場を取ってくれた福島みずほさんから上映経過についての話があり、2時間20分近い映画を開始。国連でアイゼンハワー大統領が原子力の平和利用について話す場面から開始された映画はやがて次々につくられる原発の状況を振り返り、3・11の東電福島第1原発事故が再現される。海渡さんに相談したという浪江町の馬場町長が当時の状況や子どもたちが全国に分散させられている現状、住民の怒りや悔しさを涙ながらに語る。河合さんは映画の中で浪江の浜で助けを求める人の声や車のクラクションを聞きながら放射線量が高くて助けることができなかった消防隊員の苦しみを聞き出す。

事故当時の東電と官邸のやり取りも詳細に再現される。河合さんが自ら原発の重点について講義する場面が数回出てくるが、基礎知識を与えてくれる貴重な場面だ。 そして、映画の中での様々な証言者、小出裕章さん、古賀茂明さん、大島堅一さん、田中三彦さん、飯田哲也さんたちの言葉も傾聴に値する。海外メディアの紹介も貴重だ。 最後は日本全国の原発映像が新垣さんの重厚な音楽と共に登場し、幕となる。
原発について総合的に紹介され、映画としての面白さも十分に堪能できる傑作だ。

2部の最後には福島さんのあいさつの後、スペシャルゲストとして登場してくれた河合さんと海渡さんのお話も聞けた。映画の中でも二人の息の合った会話が和ませてくれたが、この時も楽しい中に示唆に富む話をいただいた。

河合さんは、この映画を作ったのは、一般の人に原発の恐ろしさを知ってほしいことと、福島事故の後もなお、原発を推進しようとする勢力に対して、きちんと論争で勝てるようにという意図があったと話され、本気ですればたいていのことはできるし、面白いし、そして誰かがその本気さに打たれて助けてくれる。この映画は本気で作ったとおっしゃった。海渡さんは福島の事故で起きたことを、浪江町を中心に丁寧に描こうと思った、そして知識を持ち、福島へのシンパシーを持ち、脱原発に向かって頑張る決意を持ってほしい、今後再稼働の動きが次々に起きるだろうが、この映画で力を奮い立たせ、日本の原発を全部止めるまで闘い続けようと呼びかけられた。

劇場で見られなかったがぜひ見たくて、ネットで探したらこの会のことが出ていて見られてよかった、と言っていた方、スタッフに話しかけ、自分は浪江町の人間で涙なくしては見られなかった、原発で働いていたが仕事もなくなり、生活は厳しいし、子どもがいるので心配だ、訴訟団に入って頑張っているという方もいた。アンケートは取らなかったけれど、皆さん、この映画から得たものは多かったと思う。1・2部合計で300人以上の参加者だった。 会では、この映画の全国上映をすすめていこうと話し合っている。

幌延深地層研究センター
幌延深地層研究センター
前日の21日に衆議院が急遽解散、総選挙を前にした集会となった。脱原発のみならず、自己本位で、憲法無視の諸政策を推進する安倍政権に「No!」を突きつけたい人たちで、3連休の初日にもかかわらず250名ほどの参加者とスピーカーで会場は盛り上がった。 動画は以下のURLで配信されています。

福島原発事故四年目の真実 ~脱原発をめざす女たちの会 (前半)
福島原発事故四年目の真実 ~脱原発をめざす女たちの会 (後半)

★海外メディアが伝える私たちの知らない福島

ドイツとフランスのTVの4本のドキュメンタリーを短く編集し直した「フクシマ-最悪事故の陰に潜む真実」、「フクシマの嘘シリーズ」、「福島地球規模の汚染」、風刺番組「ニコニコする人に放射能は来ない!」が上映された。真実を追求する海外メディアに対して、一番影響を受けているのに知らされない日本、福島の人々。原発ムラの圧力に屈し、真実を伝えようとしないメディアにも呆れ、驚き、怒りが湧く。

★講演は3人から

最初は澤井正子さん(原子力情報室)から「拡散する放射能と福島第一原発のいま」と題して。 「情報は当てにならない、専門家は当てにならない」の2つを原発事故で学んだ。3/12~4/19の放射能放出のシミュレーション映像は、迫力がある。当初は風向きで7~8割は太平洋に流れ、2,3割が内陸に。3/15には風向きが変わり、近隣の市町村に放射能雲が浮遊、そこに雨、雪が降った。学校が休みだった子どもたちは外で雪合戦を、大人は雪かきをした。格納容器ベントからも、建屋爆発によっても放射能を放出したが、壊れなかった2号機の建屋からが一番多く放出された。汚染水はノーコントロールだし、放射能はいまだに空にも海にも出しっぱなしである。 続いて医師の振津かつみさん(チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西)。

2011年4月12日に初めて福島に行き、その後毎月健康相談に行き、今日もその帰りである。2014年6月までの福島県民健康調査・小児甲状腺検査結果によると、58名が手術を受け、40名が手術を待っている状況。本人や家族の精神的、経済的負担は大きい。ガン、白血病だけでなく、どんなに低線量でも慢性的な被ばくをする子どもたちは、大人より体力の低下などの健康リスクが大きく、合計の被ばく量を減らすことが大切である。高齢者も要注意。胎内被ばくによる小児ガンの増加も明らかにされている(オックスフォード・スタディ)。脱原発と結んで、福島事故被害者の健康と生活を守ろうと話した。

休憩を挟み3人目の講演は辛淑玉さん(人材育成技術研究所所長)。

月2回は、放射線量の高い所に行っている。子どもの頃、年末の紅白歌合戦の時間、女たちは台所に立っていた。子どもだった私は、酒を飲んでいる男たちに呼ばれて一緒にTVを観た。次々登場する歌手たちを、あれは誰それの子、誰の親戚と説明され、その数は日本人より少なくはなかった。在日朝鮮人は就職できず、芸能やスポーツ界に多く入ったから。映画の「寅さんシリーズ」が嫌いだ。寅さんはテキヤで在日が多く従事する仕事だったし、柴又界隈は在日のエリヤだった。でもそのことが一つも出ないのだ。いま寅さん映画と同じように、福島を消そうとしているのではないか!今日は2つのお願いがある。(1)選挙に行って欲しい。私には選挙権がないが、戦争をさせない政党、個人に投票し、それを1人が3人に働きかけて欲しい。(2)物販されている被災地などのものを、1人1個は買って、と訴えた。

★スピーチは、5人から

会津若松市在住の古川好子さんは、被ばく者の自覚を持とうと、以前はやっていた「臓器提供の署名」と「献血」はいっさいやめた。夏でも長袖を着、現実を、危険性を、忘れないように、福島で暮らす。日本の原子力発電による被ばく者である私は、みんなの前例だと力強く話した。 忙しい中、駆け付けた福島みずほさん(社民党副党首、参議院議員)。今年は脱原発ではちょっといいこともあった。大飯原発訴訟では住民が勝訴し、大間原発建設凍結を函館市長が提訴したと報告。一方政権は、「川内(せんだい)」原発を「かわうち」と読むような担当大臣で、解散も安倍総理が自分のためだけを考えてのこと。そのため、戦争と貧困に向かうことを許さないとても大切な選挙になった。皆と一緒に頑張ると、強い決意を表明。

続いて大河原雅子(民主党 前参議院議員)さんは、いま衆参とも脱原発を言う議員は減った。今度の総選挙は、候補者一人ひとりに脱原発を問う選挙にしようと呼びかけた。

菊川慶子さん(花とハーブの里)は六ケ所村から参加。六ヶ所村には、低・高レベルの使用済核廃棄物がどんどん運ばれてくる。6月の村長選挙に出馬したが負けた。来年6月の村議会議員に立候補する、との表明に会場から応援の拍手が湧いた。

武藤類子さん(福島原発裁判原告団長)は福島から参加。人権侵害がどのようにされていくのかが、福島にいるとよくわかる。福島原発訴訟は東京地裁で却下されたが、それを訴えた検察審査会では、「トップ3は起訴相当」の判定が出た。11/16には、住民、労働者、子どもなど多様な人々が集まって「原発事故被害者集会」を行った。これから抵抗の火の手を上げる!とソフトな言い回しながら、力強く宣言した。

脱原発に集う力を、総選挙に活かしたい!憲法、人権を守りたい!と決意を新たにし、集会は終了。各地からの物販も完売した。

幌延深地層研究センター
幌延深地層研究センター
わかりやすいと好評のリーフレット『原発がダメなこれだけの理由(わけ)』をいろいろな人に読んでもらって反原発の輪を広げてゆこうと、有志で取り組んでいる街頭宣伝。

今回は11月の集会のお知らせも兼ねて、9月19日金曜夕方のJR目黒駅西口で街宣しました。まだ明るさの残る5時半から始め、福島みずほさんはじめ、メンバーが交代でマイクを持ちながら、日の落ちる6時半まで行いました。

この猛暑の夏も原発ゼロで乗り切ったのに、福島の人々の健康や生活の問題はむしろ深刻化しているのに、なぜ安倍政権は原発の再稼働や海外輸出を強行するのか、高レベル放射線廃棄物処理を研究している幌延や瑞浪を見て実感した処分についての安易な考え方、地盤が軟弱で地下水の豊かな日本での放射性廃棄物処分の無謀さ、などなどを訴えました。

仕事帰り、学校帰りの人々の行き交う駅前交差点では、用意したリーフレットはほぼなくなるほど高校生や若い人を含めて受け取りも良く、また訴えに関心を示して話しかけてくる人も多く、地道に訴える活動の手ごたえを感じた街頭宣伝でした。(柳沢)

なるべく大勢の方にご参加いただこうと、賛同人の皆さまにはご案内も差し上げていますが、チラシの配り手が多いほど、その勢いに呼応して受け取りもよくなります。

ぜひ次回はアピール行動にご参加下さい。次回は10月23日(木)午後5時~6時JR線・西武新宿線高田馬場駅前BIGBOX前です。

ご参加お待ちしています。
詳細のお尋ねは脱原発をめざす女たちの会事務局電話080-3174-3584まで。

幌延深地層研究センター
幌延深地層研究センター
5月24日(土)、北海道・幌延にある、独立行政法人「日本原子力研究開発機構」の「幌延深地層研究センター」に、原発立地地域などで運動する自治体議員や脱原発をめざす女たちの会のメンバーなど約四十人で視察に行きました。福島みずほ事務所の呼びかけ。

私たち一行は幌延現地や周辺地域で建設反対や監視活動をしてきた「核廃棄物施設誘致に反対する道北連絡協議会(鷲見悟・久世薫嗣・東道代表委員)」や地元の方々のお話を伺いました。

視察前日の23日には、同協議会が下村博文文科大臣と茂木敏充経産大臣に対して、「原子力機構の解体と幌延深地層研究計画の中止」を求める抗議文を提出するなど、地元では幌延への施設固定化の懸念が高まっていた中での視察となりました。

これは、日本原子力研究開発機構と北海道・幌延町との三者による「研究施設であって、放射性廃棄物は持ち込まない」との協定(2000年)があるにも関わらず、日本原子力研究開発機構の野村茂雄理事の「研究施設埋め戻しはもったいない」発言への抗議です。

幌延深地層研究センターでは、副所長より地層処分計画について説明を受けた後、140メートルと250メートルの坑道を視察しましたが、参加者から「松代大本営の地下壕みたいだ」との指摘が出たくらい坑道は狭く、腐食しないコンクリート研究を継続しているとしながらも、その研究成果がいつ出るか分からないとのこと。

幌延は軟弱な地盤であり、以前は一日400トン、現在は一日100トンの地下水が出ていて、その対応にも苦慮してきた経緯もあります。

福島みずほ参議院議員は記者会見で次のように指摘しました。

「オンカロのような『10万年後まで管理する』という哲学とは全く異なり、幌延深地層センターの研究は「いずれ自然に還る」という方針で、安全性に多いに不安がある。

現地に行って機構と北海道庁と幌延町の三者の協定は改訂される可能性があり、幌延は最終処分場の一つになる可能性があると感じた。大飯原発3・4号機の運転差し止め判決が出たが、安倍内閣は再稼動するに当たり、最終処分場を性急に決める可能性が高いと感じる。

北海道の各地を処分場にさせないために、国会で質問し行政交渉をし、現地北海道の方々と連帯したい。 脱原発をめざす女たちの会は、原発立地地域や放射性廃棄物の処分場候補地など現地で活動する方々との連携を重視しており、二年前には事務局で大間の「あさこはうす」にも見学に行かせてもらっていますが、今後も継続して全国の原発立地地域や最終処分場候補地などに視察に行きたいと考えています。
(投稿 池田幸代 福島みずほ事務所 秘書)

幌延深地層研究センター
脱原発映画デー
<街宣行動>

五月晴れで、屋外での行動にはぴったりの日和。11時~12時までは、上野駅不忍口の眩い陽光の中での街宣リレートーク。「原発がダメなこれだけの理由」のパンフを紹介し、多様な面から脱原発を訴える。マイクを握り、横断幕を掲げ、パンフを配布するメンバー。

子連れの人には、「子どもたちの未来のために」。大人には「原発が一機も動いてなくても、電気は足りています」と言いながら、手渡す。マイクを握っているのが福島みずほさん(*画像左)のときは、近づき、話しかけ、握手する女性たちも多い。「ボク、みずほさんのファンです」と言いながら、遠巻きに話を聞き、去っていくのはおじさんでした。

上野不忍口周辺は、旅行鞄を持ち、日本語ではない言葉を交わす外国人の往来も多く、パンフの受け取りはもう一歩という感じでした。

<女たち・いのちの大行進>

13:00開演。第1部のメッセージスピーチは、障がいをもつ安積宇宙さん、沖縄の高里鈴代さん、アイヌ民族継承者の平田みゆきさん、在日韓国人の朴慶南さん、福島の荒井祐子さんの5から。そして海外からもメッセージは、ルワンダのカンベンガ・マリールイズさん、アメリカのノーマ・フィールドさんの2から。(*画像真ん中)

第2部パフォーマンスライブの司会は、緑色のぬいぐるみ「ゼロノミクマ」さん。ゼロノミクマさんは、原発ゼロを目指すソーシャルゆるキャラで、話し方が可愛い。5組のパフォーマンスは、すべて聴衆の参加型。舞台に上がっていっしょに踊ったり、歌の一節を合唱したり、席から立ち上がって手を振り、足を揺らす。会場のみんなが、のりまくり、のせられまくりで盛り上がりました。

最初は、レラの会のアイヌ舞踊。歌声、衣装も素敵で、長い髪を前後に振っての踊りは迫力があった。2組目の古代フラは、水野みさを&虹の天の鳥たちによるパフォーマンス。これまで知っていたフラダンスと違い、ゆっくりとソフトな何とも優雅な舞いで、ほんとうに素敵でした。3人目は、こぐれみわぞうさん。シカラムータ・ジンタラムータのメンバー。当日は女性の彼女1人がチンドン太鼓を鳴らしながら「We shall overcome」などを力強く歌った。

続いて寿〔Kotobuki〕の2人。「平和に生きる権利」「もう愛しかない」などを朗朗と歌い上げる。会場からアンコールの声が上がるが、その時間はなかった。最後は李政美さんの歌。ギターの矢野敏弘さん、ヴァイオリンの向島ゆり子さん、キーボードの竹田裕美子さんの演奏で、「うないの力」「ありらん、すりらん」などの歌声が響き渡る。会場は総立ちで、共に踊り、声を合わせた。(*画像右)

大行進は車椅子や乳母車の利用者、子どもたち、福島からの参加者を前方に一般参加者が続く。シュプレヒコールなどはなく、李政美さんらのリードで「やさしく怒りこめて」など、行進者の歌声を届けながらゆっくりウォーク。警備の警察官の対応は親切で、ビルの窓からは、パレードの写真を撮る人たちもいた。 とてもいい「女たち・いのちの大行進」で、「本当にありがとう!」と、実行委員会と福島の女たちに伝えたい。

脱原発映画デ
脱原発映画デー
5月の連休の最終日となる6日、翌週11日の「女たち・いのちの大行進」につながるプレ企画として、脱原発をめざす女たちの会では、「5.6脱原発映画デー 女たち・いのちの大行進(5.11)に賛同して」を開催しました。

原発震災から3年、あの事故はなんだったのか、私たちは未来に何を残すのか、何度でも振り返り問い直そう、まるで原発の過酷事故がなかったかのように、原発を使い続けると宣言する安倍政権の「エネルギー基本計画」に大声でNOと言いたい、と考え、ふだん、なかなか上映の機会の少ない、原発・震災関係のドキュメンタリーを、それも3本じっくり見られる構成で企画しました。会場は、日比谷公園の中の日比谷図書文化館地下、日比谷コンベンションホールです。

まず、10:30から12:15の午前中に、「福島 六ケ所 未来への伝言」(監督 島田恵)を、お昼をはさんで、午後は13:00から14:30が「原発の街を追われて 避難民・双葉町の記録」本編・続編(監督 堀切さとみ)、14:45から16:00に「逃げ遅れる人々 東日本大震災と障害者」(監督 飯田基晴)でした。

当日は、開場前から並ぶ方も多く、また、男性のご参加もいつもより目立ちました。一日通しで見られる方が半分以上おられて、会場はほぼ満席となりました。どのドキュメンタリーも、ナレーションは控え目で、人々の暮らし、表情、言葉を丁寧に追い、主張することよりも、その人たちに寄り添い、共に考えるという姿勢に貫かれています。
 
「福島 六ケ所 未来への伝言」は、六ケ所の村、海、山、そこでの漁師さんや農家の暮らしの撮影が美しく、この美しいふるさとをそのまま未来へ手渡したい、という監督、人々の気持ちがしみじみと伝わるものでした。ことに、なごやかに語りながらも原発に漁の仕事を奪われることへのかなしみを伝える主婦、1986年のチェルノブイリ原発事故以来、「かくねんまいね」とじょっぱりの女の心意気でデモを続ける女たちが雪の中を歩む姿など、女たちの姿が印象的でした。

午後の映画はまず、「原発の街を追われて 避難民・双葉町の記録」から。避難先でも地元との交流の工夫をしたり、限られた条件の環境の中で前向きに生きがいを探していく人のいる一方、福島県内に避難している町民との分裂で、遠方への避難は、わずかな援助でさえも「殿様のような生活」とバッシングされていく・・・、見ながら、自分ならどうするか、と深く考えさせられるものでした。

このあとの休憩時間には、双葉町の映画を監督した堀切さとみさん(写真左)の挨拶、「5.11 女たち・いのちの大行進」のアピールとテーマソングの披露、そして、長時間の鑑賞のリラックスのためにストレッチ指導もありました。

堀切さんは「埼玉県の騎西高校に避難してきて長期の避難生活を強いられることになった人々の思いと、都会に住んで原発反対を行ってきた自分たちと何が違うのか、それを考えたくて映画を撮り始めました。遠方に避難した人たちがバッシングを受け、追いつめられるという成り行きもあり、今はもう避難所は閉鎖されましたが、続編も撮りながら、人のあり方、自分だったらどうするかといろんな場面で考え続けて来ました。そして、今は、当たり前のことが言えない、それを口にすることさえ難しい世の中が来ているのではないかと危惧しています。」と話されました。

女たち・いのちの大行進の呼びかけ人(写真中)を代表して、有澤加奈枝さんからは「みなさまに5月11日に上野水上音楽堂でお会いすることを楽しみにしています。被災地の住民の方々の苦難は続いており、更に、差別・戦争・貧困へと社会が傾斜していく中で、女たちが輪になってつながってこの閉塞状況を変えていきましょう」とのアピールがあり、李政美さんによる行進のテーマ曲「いのちの平和に原発はいらない、戦争はいらない、差別はいらない、みんなで歩こう、光の方へ、あなたと私で世界を変えよう」が、ゆっくりとやわらかに会場を流れました。

午後の二本目は「逃げ遅れる人々 東日本大震災と障害者」。震災後、障害者の死亡率は、住民全体の死亡率の2倍の数字になりました。もともと困難な条件の中で生きている障害者が直面する、未曽有の規模の事故の中での困難には言葉を失うようですが、それでも、その中で、訥々と語りながら、今後どのように生きるかを模索している障害者たちがいます。「周囲に迷惑をかけることになるから、避難所には行かないことにしたけれど、でも、家にいても、物資を取りに行くこともできないし、情報も入らないし」と言う障害者の言葉、「行政の調査の分類は障害の重度によっているけれど、実際の困難さは、障害の重さではなく、その人を取り巻く環境によるのです」というサポートセンターの職員の言葉が心に残りました。

開会と閉会に際して、女たちの会の呼びかけ人の一人、福島みずほ参議院議員(写真右)からの挨拶がありました。閉会挨拶では、福島議員はこの障害者の映画を受けて、「1月に改訂された国の防災基本計画では、災害発生時に障害者やケアの必要な人は基本的に自宅退避、これは置き去りです、けれども、そもそも浜岡や東海第二など、障害を持たない人々でさえ、逃げられない地域に原発はいくつも立地しています、やはり「動かさない」決断しかありません」と会場へ訴え、大きな拍手で映画デーの終了となりました。

なお、以下に当日頂いた感想のいくつかをご紹介します。

「今この時期に島田さんと堀切さんのこの作品を見る事が出来ていろいろ整理できました。福島の子供たちの保養にかかわって少し悩んでいたのですが、これからも息長く子供の健康のためにできることをしていこうと思います」

「3本の映画のどれも素晴らしかったし、観客の中にはハンカチで涙をふく方もいました。まだまだ福島の事故は終わっていないことを改めて確認し、福島さんの言葉にあったように、弱者切り捨てをすすめようとする政権に対して、国会の内外での闘いが大事だと改めて思いました。」

「3本ともそれぞれ焦点の当て方が異なっており、組み合わせたことも良かったなと思いました。」

脱原発映画デ
電源開発に大間原発建設中止を申し入れ
3月8日~9日、脱原発をめざす女たちの会から20名で福島の行動に参加した。

★「原発のない福島を!県民大集会」(郡山市ユラックス熱海会場)

当日はいわき市、福島市でも県民集会が開催され、3会場あわせて5300人が参加した。会場のある磐梯熱海はふりきしる雪に包まれていた。いっしょに集会に参加したいという福島在住の女性も私たちに合流し、会場に向かった。

3回目の今年の集会は福島第一原発のある双葉郡8町村のすべてが応援団体となったそうだ。開会に先立ち、神田香織さんの講談「福島の祈り」。熱演に聞き入る。集会では呼びかけ人代表の福島大学教授清水修二さんが挨拶。震災関連死は1600人に達し、2日間で3人が死亡している割合、福島では自殺者も相当数増加、原発で働く労働者のうち100ミリシーベルト以上の被曝者は2000人に達している。福島第2原発は立地町村も含めて全県で廃炉要求が出されている、東電は直ちに廃炉決定をすべきだと訴えた。

大江健三郎さんは、「戦争中日本人は軍部や政府の言うことが嘘だと知りながら信じようとした。『知らなかった、騙された』というのは騙された人間にも責任がある。今また原発は安全だという宣伝に騙されたがっている。事故を知った今、騙されたとはもう言えない」と語った。原子力資料情報室の澤井正子さんがフクイチの現状をわかりやすく詳細に報告。原発事故後の1か月で放射能が関東や中部地方まで拡散するパワポのリアルな画面に会場からどよめきが起こった。

福島からは強制避難者や自主避難者、有機農業を営む農家など生産者、除染労働者や応募して平和大使となりジュネーブで原発事故被災者の訴えをした女子高校生が発言した。「福島は我慢の限界にきている」という避難者の言葉、高校1年生の「大人たちになぜ原発を作ったのか問いたい。責任をとって欲しい。けれども自分より若いこどもたちからは事故後何をしていたのかと自分たちが問われる立場だ」という言葉が胸に沁みた。

★3.8女性交流会

県民集会終了後、会場を二本松市の福島県男女共生センターに移して、脱原発をめざす女たちの会独自の女性交流会を行った。福島県から参加して下さったのは、「かーちゃんの力プロジェクト」の渡辺とみ子さん、建築士の菅野真由美さん、桜の聖母短大教員の二瓶由美子さん。それぞれパワーポイントを使って活動の報告をして下さった。

渡辺とみ子さんは、あぶくま地域の全村避難になった村出身の女性たちが立ち上げた「かーちゃんの力・プロジェクト協議会」の会長。もともと飯館村で女性農業者とともに特産品や加工食品の製造・販売をやっていた。飯館雪っ娘という名前の南瓜を商標登録申請後に被災。何とか種は保存でき、今は避難先で仲間と育成中。経験を活かし、避難を余儀なくされたかーちゃんたちのネットワークであぶくま地域を元気にするプロジェクトを進行中。かーちゃんの店をオープンし、農産物加工品の販売や笑顔弁当を作り販売、仮設住宅に届けたり各地のイベントへの出店などを行っている。「あきらめない」をモットーに活動の場を広げているとのこと。この交流会でも夕食にあぶくま茶屋の美味しい弁当を頂いた。

菅野真由美さんからは建築士のグループで仮設住宅の調査を行った結果の報告と、菅野さんが住む伊達市のホットスポットになった地区で住民による放射線測定室を立ち上げ、放射線量を減らす工夫などの情報提供を行っている活動の報告。仮設住宅の中でもっとも多いプレハブ型は狭い住戸間隔で窓も小さく窮屈な印象、入口の段差が70センチもあるところなどあり、高齢者や障がい者には住みづらい。木造仮設は見かけはずいぶんましそうだが、土台の基礎は打たれていなくて木造の足が地面に載っているだけ。あくまでも仮設住宅だからということだそうだ。バリアフリー型とされるところでも入口に急な段差があるなど、問題が多い。仮設住宅の再編が行われようとしているが、例えば4月から帰村を開始した川内村では復興公営住宅を50世帯分準備したが、仮設と違って家賃がかかったり不便な場所にあったりで、入居は進んでいない。

今必要なことはなによりも事故の収束。住み続けたい人のためには除染が徹底的に行われなければならない。福島の人は疲れ切っている。この3年間焦って前のめりでやってこなければならなかった。これからはもう少しじっくり考えてやっていきたい。二瓶由美子さんは福島県が行ったチェルノブイリ調査団に加わった経験を活かす活動を、調査団参加者とともにやっていると報告された。

地震直後から学校に泊まり込んだ女子学生たちの活動は、本当に次々と広がり、避難所の応援や、高齢者の方々が生活不活発病にならないようにと創作したガンバッペ体操をひろめたり、とどまるところを知らない。現在ではさらに進化させた内容の研究、「福島学」に取り組んでいるとのこと、これは二瓶さんご本人がのちほど直接ご報告くださる予定。若い娘さんだからまず避難させるべきという声も当然聞こえてくるけれど、家族のそれぞれの事情を抱えながらも、福島にある小さな大学だからこそ何とか通学できているのだというのも、苦しいけれどまた一つの声と話された。3人の中身の詰まった報告に活発な質問や意見が出て、交流会は夜の10時まで続いた。

★3.9 被災地フィールドワーク

県民集会実行委員会が主催するフィールドワークに全国各地からの参加者とともに16人で参加した。飯館村視察、南相馬市小高地区(避難指示解除準備区域)をまわって福島駅までのコース。一人一人に線量計が配られた。飯館村の飯樋小学校の校庭は雪に覆われていた。雪が積もると放射能が雪に遮蔽されて線量が一時的に下がるそうだ。フェンス際に積もった落ち葉に線量計をかざすとみるみる8.0マイクロシーベルトまで上がって驚いた。ガイドをして下さった飯館村の方の説明では最近は平均.2.0マイクロシーベルトくらいまで下がっているということだったが、高いところは高いままなのだ。飯樋小学校はま新しいカラフルな木造の温かみのある校舎。窓から教室を除くと仕切りのないどこにでも行くことのできる教室のところどころに丸いテーブルが置かれている。教室と言えば黒板にむかって机と椅子が整然と並んでいる、そんな常識をぶっとばす開放感あふれる空間。全国の小学校がこんな学校ならどんなにいいだろうと思う。そこに人の気配はない。夢のような場所は奪われてしまった。その無念さがそくそくと胸に迫る。

南相馬市の小高地区。元は家や畑があった場所に残るのは半壊した家とむき出しの土台と海岸の無残にくずれた堤防のみ。2011年5月に近くの小島田地区を訪れたことがあるが、その時と違っているのは瓦礫の山が無くなったことだけ、何も変わっていなかった。女たちの会の参加者の一人が、飛ばすと大きな鳩になる風船のようなものを10個ほど持って来てくれた。材質はいずれ自然になくなるという。その鳩を、被災者の鎮魂と脱原発の実現を祈ってみんなで大空に放した。青空に白く舞い上がった鳩はとてもきれいだった。

南相馬市から福島に向かう車中で飯館村で教員をされていた方からお話を聴いた。双葉郡の避難先での学校再開の状況、飯館村の避難指示解除準備区域とされたところには戻ってきた店や企業が少しあるが、村民がいない中で営業できる状態ではない、自分の住んでいる地域は飯館村でも帰宅困難区域とされているところで今後の見通しはまったく立っていない、どうするかは決めていないが、体験と現状を全国の人々に伝えていくことが自分の役割だと思っていることなどを淡々と話して下さった。

今回のツァーで「福島は忘れられている」「福島は疲れている」「我慢の限界」という言葉を聞いた。「福島を忘れない、福島とつながる」活動が女たちの会の原点だとあらためて思った2日間だった。

結成2周年集会
「つくらない!売らない!動かさない!わたしたちの脱原発3原則」11・9集会のご報告

お天気が心配だった週末でしたが、議員会館裏手にある星陵会館は、300人の女性と男性の熱気があふれました。結成2周年記念集会の舞台には、「わたしたちの脱原発3原則=つくらない!売らない!動かさない!」の文字がはっきり掲げられていました。司会はレイバーネットの松元千枝さんと、NGO職員の秋山映美さん。しゃきしゃきさくさくと次第は進みます。

 トップバッターはおしどりマコ&ケンさんのスピードトーク。原発問題も秘密保護法も、何でもかんでも政権の進め方はまったく同じ、「国民はなめられている!」。東電もびっくりの、オリンピック招致プレゼンの場での完全ブロック発言は、水俣やアスベストなどと同様、住民の命よりも企業の発展が大事にされる国だということを示しているんですね。世界一企業が活動しやすい国にするのですから。お二人の師匠であったいとし・こいしさんから教えられた言葉「芸人は国のためにしゃべるな・目の前のお客のためにこそしゃべれ」をモットーに、1人で正義をぶって100年掛かる変革も、100人がかりなら1年で果たせる、そんな動きをこれからも生み出すために、一緒にやっていきましょうと頼もしい結びでした。たった15分だったけれど、たっぷりの思いが届きました。

続いては斉藤美奈子さんのお話「メディアと原発」。メディアが恐れるもの、それは“大手家電メーカー”“大手自動車メーカー”そして“電力会社”。もちろんそれは重要な広告主だからですよねと、上位10社の社名と金額が並ぶ。しかしもっと驚くのは電事連10社の合計は、第1位企業の広告料を超えるという事実。競合する企業などない地域独占で競争無用というのに。原発のリスクについては、「触れず」「目立たせず」「わかりにくく」という広告内容。・・・なるほど。

あちこちで使われる無駄にかわいいキャラたちが、どんなに恐ろしいことを語っていたか、動燃マスコットとして動画に登場したプルトくんがあっけらかんとかわいくひろめる言葉は「プルトニウムは青酸カリより安全だよ」「飲み込んだって直ぐには死なない」・・・ありえない!!

文部科学省は「原子力教育支援情報」をしっかり普及させるべく<原子力普及ポスター>だの<原発課題研究>を学校という権威を利用して、表彰制度などでやる気を出させ、積極的に啓発に努める側に立つ人を育てるという戦略を着々と実行してきていました。さすがにフクシマ以後は少し納まったかに見えましたが、現在は『原発は安全』から『放射線は安全』神話普及に方向が修正されています。反原発・脱原発と答える人が70%という現実は、安倍さんにとっては早急に変えなくてはならない課題なのだといえます。だからこそ、分断に気をつけて、メディアリテラシーをしっかり身につけ、暗くならずに元気に行きましょうという斉藤さんのお話は、大いに会場の人々のエネルギーを充填してくれました。

原発現地からの報告は4人の女性が登場。
鹿児島からの発言者、鳥原良子さんは、作られて28年にもなる川内(せんだい)原発の再稼動を絶対にさせないと手を尽くす現地の様子を伝えました。本来なら廃炉準備が進められなくてはならない年月がたっているというのにまったく検討の気配もなし。事故を想定した訓練もごくわずかの参加人数で役に立たない、県内で桜島や新燃岳が活動中というのに活断層はないと主張し続ける九電、経済効果最優先で再稼動を求める声との闘いは今が山場、12月15日の大集会への結集をと呼びかけました。

2番目は愛媛県の伊方原発から10㎞のところに住む斉間淳子さん。40年に及ぶ運動の中で、たくさんの嫌がらせを受けてきたけれど、3.11以後は変化があるといいます。改めて痛感することは、原発は過疎地にしか作られないのだということ。強力な力の前に、安全神話を知らず知らず刷り込まれていた自分自身。幾つもの裁判を闘ってきたなかで、家族が壊れる人たちもあった、現地で住み続けることは、まさに人権を掛けた闘いだと結びました。愛媛では、12月1・2日にNO NUKESの催しが準備されています。

休憩を挟んで後半は、新潟の小木曽茂子さん。最も早く再稼動が目論まれている柏崎刈羽からの報告でした。東電は2014年7月には再稼動させる予定というタイムテーブルを臆面もなく発表しています。今柏崎刈羽を留めることが、この国の方向を変える力になるのです、フクシマのなんと3倍もの地下水があるという現地、県知事は政財界からの「国に審査をさせないのはおかしいではないか」という強い合唱に、規制庁への適合申請を了承することになりました。これを受けて直ぐに東電は規制委員会に申請手続きを行い、準備を進めています。でも反対する人々は広がるつながりをさらに強め、日本の新しいエネルギー政策の転換点となるべく力を尽くしますと力強く発言しました。

4人目の現地報告は福島原発告訴団団長の武藤類子さん。彼女は今年のやより賞を受けることになったと報告、会場から暖かい拍手が沸きました。福島では、14716人の告訴団が組織され、毎日毎日地検前座り込み行動を実施。参加者は50歳以上に限定、1時間以内という制限で行い、報道もかなり増えてきたというのにオリンピック招致騒ぎのどさくさにまぎれて、あっさり不起訴。おまけに東京に移送するというだましの手口を使っての決定。強制捜査をしなかった理由を問うても答えは返ってきませんでした。現在は、東京の検察審査会に申立を行い、更に第二次申立人を募っているところです。「これでも罪を問えないのですか」と題して多くの人が寄せた声が1冊の本になりました。また来年5月には、東京と、世界中あちこちを結んで<女たちのいのちの大行進>を計画中。是非皆さん一緒にと呼びかけました。

最後は呼びかけ人のリレートーク。
宇梶静江さん、神田香織さん、崎山比早子さん、佐々木慶子さん、制服向上委員会の面々、大河原雅子さん、富山洋子さん、福島みずほさん、山崎朋子さん、渡辺一枝さんが、それぞれ熱くあるいはしみじみと、また元気に脱原発への思いを語りました。あっという間の中身の濃い3時間でした。
電源開発に大間原発建設中止を申し入れ
電源開発に大間原発建設中止を申し入れ
脱原発をめざす女たちの会は、6月1日、東京・千代田区の日本教育会館ホールで「脱原発こそ未来を拓く—いま、被曝から子どもを守ろう!6.1集会」を開きました。参加者は200人でした。

はじめに高橋哲哉さん(東大大学院教授)が「原発という犠牲のシステム——なぜ脱原発なのか」と題して講演しました。福島県内で高校時代までを過ごした高橋さんは、原発震災後はじめて福島県富岡町に入ったときのことから話を始めました。高橋哲哉さん講演要旨:咲き誇る桜と静けさのギャップ。福島県ぐるみ人権が保障されている憲法のらち外に置かれている。国は賠償金がふくらむことを恐れて、20ミリシーベルト以下という原発作業員と同レベルの汚染地域に住むことを強いている。チェルノブイリでは5ミリシーベルト以上の地域は移住の義務が課せられているのに、福島では移住の権利もない。国は戦後一貫して沖縄に犠牲を強いてきたが、エネルギーを得るための原発でも、隠ぺいされていた犠牲が事故であらわになった。原発は燃料の採掘から廃棄物処理の過程まで、そこで働く労働者が被曝し、過酷事故が起きたら膨大な犠牲が出る。この犠牲のシステムは人権を保障する現在の憲法では許されない。

休憩をはさんで、「被曝から子どもを守ろう」のテーマでパネル・ディスカッションを行いました。(パネルディスカッションの動画はYouTubeの「脱原発をめざす女たちの会チャンネルhttp://www.youtube.com/watch?v=_WYj_2AArSIでご覧頂けます)

コーディネーターの菅野久美子さんは福島から東京へ母子避難。さらに娘の小学校入学を機に今年、岡山県玉野市に移住。映像を使っての報告のなかでも「なぜ避難できたのか」「なぜ危険な場所にいることがわかったのか」という問いは切迫した状況が伝わってきます。ネットや知り合いとの連絡で必死に情報を得て、自身での状況判断が必要でした。避難者どうしの交流会、家族や福島の現状について人前で話すようになった経過なども紹介しました。“ほどよい田舎がよい”という岡山移住の理由はうなずけました。体験を語りつつ菅野さんはパネリストの話も引き出しました。

鹿目(かのめ)久美さんは神奈川県生まれで、結婚して福島へ。ログハウスをつくり自然の豊かさとともに暮らしていたが、娘の健康を守りたい一心でいまは実家で避難生活。福島では避難を決められない人も多いが、鹿目さんは家族ばらばらになってもと避難を決めた。「母ちゃんず」というグループをつくり、福島の子どもの保養を受け入れている。

二瓶和子さんは被災当時2歳の子どもと練馬区へ母子避難。移住したころは孤立していたし、福島では物がないのに東京では物が豊富で外遊びもできることに違和感をもったようです。収入を得るためや周りとつながるために手作りアクセサリーなどを販売。“チェルノブイルの悩みを自分が被害者になってはじめて分かった”という言葉が印象的でした。

小児科医の山田真さんは、原発震災後から子供の健康診断を続け「放射能から子どもたちを守る全国小児科医ネットワーク」を立ち上げました。「見守っているだけ。悲しい思いだ」という山田さんの言葉は、国の無策への怒りでもあります。森永ヒ素ミルク中毒事件の国の対応と比較して、原発事故の犠牲者への救済制度づくりの大切さを訴えました。

弁護士の仲里歌織さんは、「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク(SAFLAN)」などで弁護士として事故の被害救済に取組んでいます。映像を使って「原発事故子ども・被災者支援法」を解説し、医療費の減免をはじめとして支援法を実効あるものにすべきだと話しました。

ディスカッションでは、子ども被災者支援法を実効あるものにする緊急性が話され、参加者はそれぞれの被災者の伝え足りない実際を受け止めようとしました。

集会の最後には福島みずほさん(社民党党首)が国会報告を行い、あわせて鴨ももよさん(7月・参議院選挙に立候補予定)も発言しました。また大河原雅子さん(参議院議員)の参加も紹介されました。会場には書籍や食品、手作りアクセサリーなどの販売コーナーもあり、「女たちの会」らしい集会となりました。

電源開発に大間原発建設中止を申し入れ
脱原発をめざす女たちの会は、「原発なくても電気は足りてる」リーフレットを上野駅駅前で通行人の方たちに配布しました。現在、大飯原発3・4号機のみ稼動していますが、原発を稼動しているのは電力問題ではなく、電力会社の資金面の問題なのだと明らかになって来ています。しかし、地震の活動期で、日本列島のどこで、いつ地震が起きても不思議ではない状況で原発を稼動し続けることは、日本と世界を放射能の危険にさらし続けることに他なりません。6月1日の集会では、実際に原発事故の被害に遭われた方々からお話を伺います。ぜひ、集会にもいらして下さい。
電源開発に大間原発建設中止を申し入れ
電源開発に大間原発建設中止を申し入れ
リーフレットは100部500円(送料無料)です。
ご希望の方は「原発がなくても電気は足りているの?」(1号リーフレット)、「原発がダメなこれだけの理由」(2号リーフレット)の各部数をご明記の上、お名前(フリガナ)・郵便番号・ご住所・電話番号をメールかFAXでお申し込み下さい。

なお、お問い合わせは、脱原発をめざす女たちの会までお願いします。
電話:080−3174−3584
FAX:03−6551−1111
メール:info@nnpfem.com

お申し込みは「リーフレット申込フォーム」からお願いします。
電源開発に大間原発建設中止を申し入れ
脱原発をめざす女たちの会では、写真のような素敵なリーフレットを作成しました。原発推進派の「原発がなくては電気が不足し停電が起きる」という言い分がウソであることを具体的にわかりやすく説明する内容です。3月10日に有楽町で行った「さようなら原発 女たちの街頭リレートーク」で道行く人たちに配布しましたが、予想を上回るたくさんの方たちが受け取って下さり、最初に用意した部数があっという間になくなりました。

女たちの会では、一人でも多くの市民に、「原発がなくても電気は足りてるよ」と伝え、脱原発の声を確かなものにしていくために、今後も街頭でのリレートークとリーフレット配布を続けます。みなさまにもぜひこのリーフレットをご活用いただきたくご案内します。

リーフレットを配布して下さる方に、100部:500円(送料無料)でお送りします。
100部単位でお申込み下さい。
お申し込みは「リーフレット申込フォーム」からお願いします。
心よりご冥福をお祈り致します。
I女性会議の顧問で、元参議院議員(2期)、フォーラム平和・人権・環境副代表の清水澄子さんが1月14日、肺がんのため逝去されました。享年84歳。

清水さんは長年の労働運動や女性運動の経験に裏打ちされた活動家としてのアイデアパーソンぶりと、困難を突破する行動力を発揮され、私たちをいつも励まして下さいました。

これまでの活動に感謝し、心よりご冥福をお祈り致します。

なお、昨年亡くなられた「原子力発電に反対する福井県民会議」事務局長の小木曽美和子さんとは、福井時代からの長年の同志で、昨年7月に福井県で行われた小木曽さんを偲ぶ会には清水さんも参加されました。
電源開発に大間原発建設中止を申し入れ
キックオフから1年目。折しも衆議院選挙、都知事選挙を間近に控えた集会となり、各地で脱原発を主張する候補者をぜひ選びたいとの決意が拡がった。参加者は600余名。総合司会は橋本美香さん。まず2人のビデオメッセージから始まった。瀬戸内寂聴さんは「命をかけ、言いたいことを言い、次の世代を守って死のう」と。香山リカさんは「原発からの心理的逃避だけではいけない、行動に結び付けよう」と呼びかけた。

続いての鼎談は、満田夏花さん(Foe ジャパン)の司会で。 崎山比早子さん(国会事故調査委)、大河原雅子さん(参議院議員)、福島みずほさん(参議院議員)が今回タイトル「こうやって原発を止める」で話し合った。崎山さんは、「放射能は世代を超えて拡がる。防ぐ手立ては、原発を止めることでしかない」と。満田さんから「福島では子どもたちの4割以上に、放射線の影響によるしこりが見付かっている」との実態報告。福島議員は、「原発は、政府、国会、原子力規制委員会、裁判、自治体の5つで止められる。私は国会でぜひ止めたい。社民党はいま原発の全国行脚をし、危険性などの調査をしている」と。大河原議員は、「国会議員だからしなければいけないことは、‘脱原発基本法’をつくること」と続いた。 そこへ、都知事候補でただ一人脱原発を訴える宇都宮けんじさんが駆けつけた。大きな拍手で迎えられ、「福島原発の大半の消費地は東京で、東電の大株主は東京都。脱原発は人、環境にやさしい。みんなでそんな都政を作りたい」と訴えた。

休憩の後、女優の松田美由紀さんは「アーティストも脱原発の人は多いが、日雇労働なのでなかなか声があげられない。子や孫もおり、良い環境を残していきたい」と話した。 続いて各地からの報告。建設が再開された大間・あさこはうすの小笠原厚子さんは「隣接地の地権者として“あさこはうす発展プロジェクト”で、その地を子どもや動植物のための場所にし、原発建設を止めたい」と。島根の芦原康子さんは「工事は完成したが、燃料が装荷されていない3号機。1,2号機の差止訴訟はすでに行っており、3号機の訴訟を来春始める」福島原発告訴団長の武藤類子さんは「東電や原子力ムラの責任を問う刑事告訴で、6月11日の第一次告訴では福島県民の1324名が訴えた。被害は福島だけではなく、11月15日の第二次告訴では全国の13,262人が訴えた」と。浜岡原発本訴の会の佐野けい子さんは「16年裁判をしており、原告団長は90代、80代の長寿の女たち。脱原発運動は、長生きできる」と笑いを誘った。首都圏反原発連合のMisao Redwolfさんは、毎週金曜日の官邸前デモには、毎回2割は新しい人と報告。原発のない未来を・中野アクションの松井奈穂さんは仲間3人と横断幕を掲げ、福島の子どもたちの保養の取り組みを紹介。東本久子さんは高円寺に若者の拠点もある杉並の活動について、102才の人もいて、いろいろ話し合いながらしなやかに関わり、変えていく様子を語った。

女たちの熱い思いを12月の選挙に活かし、脱原発を実現したいと確認し集会を終えた。
11.23こうやって原発をとめる
電源開発に大間原発建設中止を申し入れ
10月17日、脱原発をめざす女たちの会は、電源開発(Jパワー)本社に対して、大間原発建設中止を求める申し入れと社前集会を行いました。11時30分に本社前集会を開始し、申し入れを行う5名を送り出しました。電源開発からは広報課長をはじめ5名が対応しました。初めに女たちの会から10月10日の院内集会での決議を示し、「世界で初めてのフルMOXの大間原発の建設をやめてほしい。電源開発はこれまで、水力発電や効率的な火力発電などを行ういい会社というイメージがあった。それだけに今回、原発、それも世界最初のフルMOXの大間原発の建設はとても心配だ。これからは自然エネルギーの開発の方がよほど会社として展望があるのではないか。大間原発はやめてほしい。」と強く訴えました。

再開を決めた理由を質問すると、会社側は「電源開発は電気を作って売る会社なので、電気の安定供給を行いたい。原子力は電気を作る手段として必要と考えている。10月1日に工事を再開したのは、HPに書いた通り位置づけがクリアになったと判断したから。」と答えました。「安定供給というが、今年の夏も乗り切れたではないか。」と言うと、会社側は「電気を作る立場からは、今年の夏が果たして安定供給だったのか。立場がちがい、平行線だ。」と答えました。

これに対し会から「原発は3・11福島第一原発の事故をみても、後始末に何万年もかかる。今大間の工事の進捗率が37%で経費は8500億円かかっているが、今ならまだ引き返せる。世界で初めてのフルMOXの原発で、事故が起きたら対処できるのか。何兆円以上もかかるし、毒性は福島の比ではない。日本全体がダメになってしまう。火中の栗を拾うというが、悪魔に身を売る選択だ。私たちは8月に大間に行ったが、海のへリで津波が来たらいっぺんに水をかぶる地形。原発の経験もない電源開発が、事故の危険を市民に押し付ける権利はない。」と批判しました。会社側は「福島を見て、絶対に事故を起こしていけないという点では一致している。そのために安全強化対策をとっている。」と答え、「フルMOXである点には何も対策をとっていないではないか。」と言うと、「MOX燃料は三分の一から増やしていくので対応できる。他社の経験や、敦賀にあった『ふげん』でMOX燃料もやっていたがそこでの経験を踏まえている。」と答えました。しかし「ふげん」がトラブル続きであったことは周知の事実です。

会からは更に「経産省は『業者の判断で再開する』と言っており、政府は責任を負わない立場。電源開発があえて推進する意図が世界中から問われている。」「政府は2030年代に原発ゼロをめざすと言っている。建設した途端に廃炉になるのでは。」と問いただしましたが、会社側は「政府は2030年代ゼロとも、片や原発は40年間運転するとも言っている。政策として決まったものではない。電源開発は風力発電では国内2位だが、風力は2000年から12年かかって18サイトしか進んでいない。原発をゼロにするには610箇所の風力が必要と言われている。やはり原子力は必要だ。」と答えました。

大間の敷地内や付近の海底に活断層があると言われている点については、「一部学者が活断層があると言っているが、既に調査しているので再調査は考えていない。」とし、「再調査すべき」という会の声には答えませんでした。また15日に函館の市長が申し入れに来たので、函館市民への説明について聞きましたが、「情報提供はしている。」、さらに追及すると「今後対応していきたい。」というにとどまりました。約束の20分となったので、「また来ます。」と伝えて申し入れを終わりました。

会社側の対応は、原発ゼロを求める市民感情を全く理解しようとしないものでした。地震や津波という自然の力、福島の事故が1年7ヶ月経っても全く収束していない現状、そして被災した福島を中心とする人々の苦しみから目を背けようとしているとしか思えません。本当に怒りを感じます。今後も粘り強く申し入れを続けていくことを確認しました。 本社前では次々と発言が続いていました。申し入れに行ったメンバーから報告を行い、最後に「大間原発をやめろ」「大間原発は大間違い」などとシュプレヒコールを行って、12時30分に集会を終わりました。参加者は50名でした。
電源開発に大間原発建設中止を申し入れ
大間原発建設中止を求める緊急行動報告
<経済産業大臣への申し入れ行動>

10月10日、午後1時30分より、経済産業省にて、大間原発の建設中止を求める申し入れ行動を行いました。大間原発建設地の地権者である小笠原厚子さんからの申し入れ書と、小笠原さんと「脱原発をめざす女たち有志の会」の連名による2通の申し入れ書を、松宮勲副大臣に手渡し、申し入れの趣旨を小笠原さんから直接副大臣に訴えました。

小笠原さんは、「福島事故被災者の苦しみが続いている中で、大間原発の建設工事が着工されたことは信じられない、しかも大間原発はフルMOXの危険な原発であり、漁業や農業の大間ブランドを損ない地域が汚されるばかりか、何かあれば地元だけでなくたくさんの人が被害にあう、日本のようなは小さな島国で地震や台風などの自然災害に見舞われる国に、原発はふさわしくない、自然エネルギーに転換してほしい。大間原発にはまだ燃料棒が入っていない、建設中止の英断の時期である、日本がどうやったら安心して生活できるようになるか、考えてほしい。」と切々と訴えられました。

同行した参議院議員の福島みずほさん(社民)、大河原まさ子さん(民主)や参加者から、「2030年代原発0方針から言えば、作ったらすぐ壊さなくてはならず、活断層の存在も指摘されるなど、再開は無理。」「工事認可は3・11以前のもので、新安全基準は来春出る予定なのだからそれまで待ってほしい。」「Jパワーは、建設中止なら今までの費用8000億円を国に要求するといっている。工事が進んでからやめるとなればもっと多額の費用を請求される。」「Jパワーは枝野大臣のお墨付きをもらって建設再開をした。函館市などは訴訟を準備して反対している。

「再開させた責任をどう考えるか。」などの発言がありましたが、副大臣は、「一度許可したものを覆す法的根拠はない。2030年代に0というのは、新エネルギーや海外資源の調達状況などを考慮しなければならないので、100%0というわけではない。新しい知見が出れば、バックフィットがあるので、規制委員会が対応する。事業者はシビアアクシデントも含めた新安全基準を考慮しなければならないが、規制委員会は環境省管轄である。」等、大間の建設がいかに民意に反し、危険なものであるかの実感がない内容でした。経産省が用意した多数の記者の取材や申し入れ直後のぶら下がり取材も、アリバイ証明のような感じでしたが、直接、小笠原さんと共に申し入れが出来たことは大きな収穫でした。

<緊急院内集会>

経産省申し入れ行動の直後から、参議院議員会館で、緊急院内集会を行いました。70人入れる部屋は、受付直後に満席になり、しばらく外でお待ちいただくことになってしまった方々には、本当に申し訳ありませんでした。別室も合わせて全体で180人の参加者で、皆さんの関心の強さが伝わりました。

集会はまず大間現地の様子を知らせようと、女たちの会が訪問した際のスライドや動画を見ていただくことから始めました。海岸線からごく近くに立つ建屋、その隣には、この日から動き始めたという大型クレーンの姿があります。海に突き出た突堤には、排水処理のための施設工事と思われる大型機械が置かれていますが、強風にあおられて2度も海水中に没したとか。そして何より参加者が驚いたのが建設現場から民家までの近さ。奥戸(おこっぺ)の人たちは8・9割が海で生計を立てていると聞いています。海水温が7,8度も上がるといわれる漁場では、たとえ大事故が起きなかったとしても現在の豊かな漁は望むべくもないでしょう。まぐろたちのパワースポットもあっという間に消えてしまいます。

次に、あさこはうすへ向かいます。完全にJパワーの土地に囲い込まれた飛び地への道は、両側をフェンスで囲まれ複数の監視カメラが常時人の出入りを見張り、監視員が常駐する監視小屋だけでなく、朝夕チェックに来るという警備員もいます。

いつ突然封鎖されるかもしれないこの道を維持するために小笠原さんが考えたアイデアは、せっせと通う郵便屋さんでした。毎日人が通るという事実をしっかり示すためにも、あさこ郵便は大事です。

かわいい手書きの看板が迎えてくれるあさこはうすは、エネルギー自給100%を目指すアイデアと努力の賜物。地下水をくみ上げるための風車、温水や電力を生み出す太陽熱の活用、暖を取る薪ストーブ、どれもまだ十分とはいえませんが、夢ではなく形として確かにありました。その前で厚子さんが語る、子供達が存分に育つ場所としてのあさこファームも、既にそのあゆみをはじめていることがよく皆さんにも伝わったようでした(スライドショウは、全体プログラム終了後、見られなかった人たちのために再上映しました)。

次に、事務局から資料にもとづき、大間原発の開発の歴史と、危険性について詳細な説明を行いました。続いて、経産省申し入れから戻った小笠原厚子さんが、お母さんの熊谷あさこさんが一人だけ土地の買収に応じなかったために受けた数々の嫌がらせや圧力を具体的に話されると、会場はしんとなりました。そして、経産省での訴えを行ってきたことの報告もしていただきました。経産省に同行した福島みずほ参議院議員から、原発立地地域への視察の報告を含めて、経産省への申し入れの状況を補足していただき、会場に参加していた、青森県出身の共産党高橋千鶴子衆議院議員、国民の生活が第一の姫井由美子参議院議員からも、大間原発建設中止の発言がありました。

また、会場からの発言で、小笠原厚子さんへのカンパ要請をしようということで、カンパをお願いしたところ、44000円ものカンパが集まり、会の終了後、小笠原さんにお渡ししました。会場からは、私たちの生活そのものを見直すことも大事だという発言もありました。

今後の取り組みとして事務局から、17日(水)11:30から銀座にあるJパワー本社への建設中止の申し入れを行うこと、小笠原さんがお母さんの意思を継いで始めようとしている、子どもたちと動植物が触れ合える空間づくりとしての「発展プロジェクト」の紹介と協力要請を行いました。そして、参加者一同で集会決議文を採択して会を終了しました。
大間原発建設中止を求める緊急行動報告
2012年7月15日 映画上映会
脱原発をめざす女たちの会では、7月15日に前日映画上映会(鎌仲ひとみ監督作品「内部被ばくを生き抜く」)を行い、会場に満員の200余名が参加。福島原発告訴団団長の武藤類子さん、電力会社の株主訴訟運動事務局の木村結さん、福島みずほさん、大阪、福島、大分など各地からの参加者の発言がありました。
7月16日、さようなら原発10万人集会には「女たちの会」のキルト旗や幟とともに約100人が参加し、原宿コースをデモ行進しました。17万人が参加した集会の熱気はすごいものでした。この力でなんとしても再稼動を撤回させましょう。」
2012年7月15日 映画上映会 画像
心よりご冥福をお祈り致します。
「原子力発電に反対する福井県民会議」事務局長で、高速増殖炉もんじゅ訴訟の原発設置許可の無効確認請求と民事差し止め請求、行政訴訟の原告団事務局長を務め、「脱原発をめざす女たちの会」呼びかけ人でもあった小木曽美和子さんが24日午前、がんのためご逝去されました。

これまでのお働きに感謝し、心よりご冥福をお祈り致します。

小木曽さんは昨年の脱原発をめざす女たちの会のキックオフ集会にもご参加下さいました。
以下、昨年の発言を掲載します。

「原子力発電に反対する福井県民会議」の小木曽と申します。高速増殖炉もんじゅに反対して36年が経ちます。福井県の若狭湾には、すでに9基の原発が運転・建設中でした。その中で反対とはとても言えるような状況ではなかったのです。つまり、原発はすでに地域の産業の中核になりつつあり、立地自治体の財政の担い手であったのです。

しかしそのときに高速増殖炉もんじゅの建設問題が敦賀市白木地区に起こりました。私たちが反対したのは、この高速増殖炉もんじゅが普通の原発、軽水炉とは比較にならない、超危険性を持っているがゆえにです。だから反対しました。そして私たちが危惧したように、その超危険性の一つ、冷却材に使うナトリウムが漏洩して、16年前の12月8日に火災を起こし、以後14年5カ月、運転の停止に追い込まれたのです。

このときに、この事故の二年あとですが、このもんじゅをどうするかという議論が行われました。そして、これはもうやめておこうという議論、それからもう一つ、圧倒的に多かったのが、5,900億円も建設費にかけてしまった、それをパーにするのはもったいない、だからもう少し続けよう、そして費用対効果を見ながら続けていこうではないかという議論が制しました。そして続けた結果がこのナトリウム事故だったのです。

あっという間に14年5カ月、何もしないままに、ただもんじゅをあたためるためにだけ、毎日、1日5,500万円、1年で200億円以上の金をかけて、国費をつぎ込んできました。そして今、政府の仕分け事業の中で、これほどの無駄はないということで、考える対象になってきました。

しかしこれは来年の5月のエネルギー環境会議で、最終的にこれをどうするか、廃炉にするのか、この原子力政策、核燃料サイクル政策を続けるのかどうか、その結論が持ちこされるわけです。それに向かって私たちは今もう一度、日本の原子力政策の根幹としてきた核燃料サイクル政策の中止、もんじゅの廃炉、再処理工場の中止を強く訴えていかねばなりません。国策といえども命を超える国策があってはいけません、あるべきではないのです。再度訴えたいと思います。 

2011年11月23日

⇒動画はこちらから
女たちの脱原発宣言
小木曽美和子さんは、2003年1月27日、名古屋高裁金沢支部でもんじゅ訴訟の逆転勝訴判決を聞いたとき、「大変ほっとした。正論が通るまで17年半も費やした。法廷で判決を聞いて一滴の涙が流れた」と、とても喜んでおられました。私も心の底から、裁判を続けて来て本当に良かったと思いました。

私は1964年、理工系ブームに乗って東京大学に入り、核物理学を専攻して大学院に進学しましたが、中退してソフトウェアの会社に入りました。高速増殖炉「もんじゅ」の蒸気発生器において熱がナトリウムから水に如何に移行するのか計算するプログラムも作りました。技術計算書類の中で、ひらがなで古典的で宗教的な「もんじゅ」という名前が不思議な響きを持っていました。気になって調べたら、「ウランを燃やしながら燃やした燃料以上の燃料(プルトニウム)を作る夢の原子炉」「日本の技術の塊であり、プルトニウムは国産エネルギー」という宣伝が、原子力開発を始めた直後からなされていることが分かりました。技術的にとても難しいので海外では撤退しつつあるのに、日本では核燃料サイクル路線を推し進めようとしていたのです。

1983年に弁護士になり、原子力訴訟研究会に参加していたら、海渡雄一さんから「もんじゅの裁判をやりませんか?」とにこにこ顔で勧誘されました。福井の人たちが「せめてもんじゅだけは阻止したい」と言って「原子力発電に反対する福井県民会議」をつくり、事務局長の小木曽美和子さんが高木仁三郎先生と相談し、「裁判をやるべきだ」という話になったそうです。小木曽さんにお会いしました。ジャーナリストだけあって読ませる文章は書くし、話も迫力があるし、頼りがいのあるお姉様という印象でした。小木曽さんは、様々な考えを持つグループを母体とする原告を大切にし、実によくまとめておられました。原告が一丸となって長い活動を続けて来られたのは、小木曽さんの人間性と、迫力と、ぶれない態度と、積み重なる仕事は全て正確に処理するという能力に負ったところがとても大きいと思います。

小木曽さんは裁判を起こす前、「事故の危険性は国の将来を左右する。15年は覚悟し、長期裁判を闘い抜こう。」とおっしゃっていました。裁判は当初から「どうやって証拠を提出し、証人を立てていくのか」という立証の問題がつきまとっていたからです。軽水炉は商業炉ですからアメリカの技術をそのまま導入しています。アメリカの情報公開制度を利用すれば情報を入手することは可能でした。しかし高速増殖炉の研究はフランスが先行していましたが官僚国家ですので情報は開示されません。

日本では国産エネルギーを自前で開発しようとして、動力炉核燃料開発事業団(現在は、原子力研究開発機構に統合)を中心に実験データの蓄積が進んでいましたが、わずか基礎データしか公開されていませんでした。小木曽さんは京都大学原子炉実験所の小林圭二先生にアタックして証人を引き受けて頂きました。もちろん弁護団もアタックしましたが、迫力はずっと小木曽さんが上でした。1985年4月25日の第1回口頭弁論で原告団代表の磯辺甚三さんは「科学よ、おごるなかれ」と叫び、小木曽さんは原発が集中する福井県にもんじゅを設置することの危険性を訴えられました。そして、その翌日にチェルノブイリ事故が起きて、世界中を驚かせたのです。

小木曽さんはもんじゅ原告団の中心であると同時に、県民会議の中心でしたから、敦賀原発の放射能漏れ、美浜原発の蒸気発生器細管破損事故などの問題にも取り組んでおられました。小木曽さんは、1回1回の裁判をとても大切に考えておられました。マスコミにレクチャーし、原告や傍聴人に裁判の要点を書いたチラシを配布しましたから、その努力たるや大変なものだったと思います。だからこそ、2000年の福井地裁全面敗訴では悔し涙を流し、名古屋高裁金沢支部の全面勝訴判決では喜びの涙を流したと思われます。小木曽さんは弁護団と原告団の会議も中心となって司会し、弁護団と原告団が遊離しないよう、一致した方向性を示してくれました。

名古屋高裁金沢支部の逆転勝訴判決は、2005年5月最高裁によって再逆転敗訴となって仕舞いました。でも、福島原発事故の後、小木曽さんが「もんじゅで事故が起こったら、放水することはできません。放水すればナトリウム爆発します。もんじゅ事故がおきたらどうなるか、よく考えてください」と発言なさったとき、もんじゅで核暴走がおきたり全電源喪失により冷却が困難になったりしたらどのような深刻な事態が発生するのか、その怖さを目の当たりに見るようでした。

小木曽さんが、もんじゅ廃炉の日をご覧にならずに亡くなられたことは、とても残念です。もんじゅは風前の灯火のような状態ですが、正式に廃炉が決定する私たちは闘いをやめず、廃炉決定を墓前に報告したいと思っています。安らかにお眠りください。

2012年6月25日
福武公子(元もんじゅ訴訟弁護団事務局長)
池島芙紀子の言葉
又一つ、大きな反原発の星が消えました。余りにも早く、心の準備も出来ないうちに。 二月の始め頃、「腹水がたまって、食欲がなく、病院で調べたけど原因が分からなくてね」という電話をいただいてから、わずか四ヶ月、私達が大飯原発再稼働反対の取り組みに追われている間に、急速に病状が進行されたのでした。

三月末には、しっかりとした文字のお手紙を頂きました。ガンであることが記され、最後に「もんじゅをよろしく」と書かれていました。新聞に大きなインタビューの記事が載り、写真の表情が聞いていたのよりお元気そうなので、すっかり騙されてしまいました。すぐに励ましの手紙を送ったのですが、かなり衰弱してしまわれたのでしょう。もうお返事はありませんでした。気になりながらお伺いしなかったのが悔やまれます。

六月八日、福井平和センターの水上さんからのお電話で、「主治医から、もう長くないと言われているので最後のお別れを」と言われ、急きょ、小林先生にも連絡し、大島と三人で福井のご自宅へ伺いました。意識はしっかりして、感謝の言葉を言われるのですが、余りのお姿に、なかなか言葉が出ませんでした。

私が初めて小木曽さんにお会いしたのは、二七年ほど前の事。故高木仁三郎さんからお知らせを受けて、三井寺での全国反原発運動連絡会に参加した時だったと思います。三十人程度の男性達の中で、紅一点の人、それが彼女でした。その三年後、私が、ストップ・ザ・もんじゅを設立した時に、「百万の見方を得た気分だ」とスピーチして下さったのが、昨日の事のように思えます。

以来私も、「もんじゅ」訴訟の支援や、「もんじゅを廃炉へ!全国集会」への協力に全力を尽くしましたが、彼女も又、関西での集会や脱原発政策実現全国ネットワークが行った院内集会やヒヤリングに、二つ返事で引き受け、発言して下さいました。二〇〇八年の秋、「もんじゅを廃炉に!関西集会」で力強いく「もんじゅにこれ以上の無駄遣いを国民は許してはなりません」とスピーチして頂きました。映画「山のかなた」の中にそのスピーチを入れたところ、大変気にいって下さり、DVDをたくさん買って広めて下さいました。

もっともっと長生きして、がんばってほしかったのに残念でなりません。ご冥福を祈ると同時に彼女の意志を継いで福井の運動がより強まる事を心からお祈り致します。

ストップ・ザ・もんじゅ 池島芙紀子
原発再稼働撤回
内閣総理大臣 野田佳彦 殿

脱原発をめざす女たちの会

あなたは、6月8日の会見において、大飯原発3・4号機を早期に再稼動すると表明されました。あなたが提示した再稼動の理由は、つまるところ3つです。

第一に、「福島を襲ったような地震、津波が起こっても事故を防止できる対策と体制は整っている。」第二に「今夏の関西での15%もの需給ギャップはきわめて厳しい水準。計画停電になれば、日常生活や経 済活動は大きく混乱する。」第三に「原発を止めては日本社会は立ち行かない。夏場の短期的な電力受給の問題だけではない。電力価格が高騰すれば、小売店や中小企業、家庭にも影響が及ぶ。国民生活は守れない。」

これらの理由に納得する国民はほとんどいないでしょう。

なぜなら、第一に、福島第一原発事故の原因も究明されず、事故の収束も見えない中で、同じような事故は起こらないと断言できる根拠がないからです。大飯原発3・4号機では、時間とお金のかかる安全対策は先送りされたままです。免震重要棟は建設されておらず、ベント時に放射能を除去できるフィルターは未装着、防潮堤のかさ上げも完了せず。ただ電源車を海抜33mの高台に配置したというだけで、「炉心損傷事故は起こらない」となぜ断言できるのでしょうか? そもそも福島第一原発の損傷は津波の前に地震によってもたらされているとの論証もあります。明日にも地震が起きないという想定は誰にもできません。

第二に、今夏の電力受給のギャップが関西電力管内で15%に達するという予測についてです。これは全国の10電力会社総計の需給ギャップではありません。東京電力のように原発が1基も動いていなくても電力に余裕のある電力会社もあります。お互いに融通しあえば済む話ではありませんか。また独立系発電事業者や自家発電能力を持つ大企業群を総動員すれば、電力不足は起こらないのです。「計画停電になれば」というのは単なる脅しにすぎません。

第三に、中長期的なエネルギー政策の策定もされていない現在、「原発を止めては日本社会は立ち行かない」などと結論つけることはできないはずです。再生可能な自然エネルギーの活用や石油・天然ガス利用の可能性を検証し、原発比率を抑えながら脱原発社会を実現することこそ日本社会が立ち行く道です。日本のみならず地球環境全体を守る道です。

「国民生活を守る」ために大飯原発3・4号機を再稼動するというあなたの発言は、まったくのまやかしです。もっと率直に「電力会社の利益を守るために、国民の命を差し出す」と言うべきでしょう。大飯原発のみならず、順次再稼動の手続きを踏むという発言は、政府において安全性の前に「まず再稼動ありき」の方針が決められていることの表明です。私たちは、大飯原発3・4号機の再稼動に反対し、方針の撤回を求めます。

2012年6月14日
脱原発をめざす女たちの会 代表 吉武輝子
吉武さん写真
私は1977年に、女性解放やいろんな運動の人たちに推されて参議院の全国区の革新無所属として立候補しました。そのときのスローガンは「つくろう、後始末のある政治」と、そして反原発と反憲法改悪、それを二本の柱に掲げました。

日本はまだ女は内で男は外で、そして会社でも庶務係には女の子がいて、出張の後始末なども全部やってくれています。ですから、ほんとうに日本の男の人たちは後始末の思想がない。考えてください。

原発は後始末ができますか。戦争は後始末ができますか。これから私たちが後の世代に残すのは、安全で平和な社会です。どうか、次の世代の人たちは、平和で安全に生きるために、一人一人が後始末の思想を持って、脱原発、NO!戦争、その旗印を高々と掲げて、次の世代に引き渡してください。
吉武輝子さんのメッセージ下側
6.2集会見出し
6.2集会写真
「もう原発は動かさない!発信する女たち6.2集会」が、日本教育会館(東京都千代田区)で開かれました。5月5日からの「原発ゼロ」を継続させたいと。ところが夏の電力不足の懸念を理由に、関西の自治体は再稼動‘容認’に変わりました。政府も来週には最終決定をするという状況での集会となり、460余名が集まりました。

最初舞台に映し出されたのは、4月に亡くなられたこの会の代表の吉武輝子さん追悼のビデオ。昨年11月のキック・オフ集会時の映像でした。総合司会は、制服向上委員会の橋本美香さん。端的な言葉で、さわやかな司会。開会挨拶に続き、突然のスぺシャルゲスト加藤登紀子さんの登場。脱原発への思いを込めた新曲が披露されました。満田夏花さんからは、避難と除染のはざまでゆれる福島の現状や、わずか3日で作られた「新安全基準」の再稼動問題などについて、端的な報告がありました。

パート1は、大竹しのぶさんのビデオメッセージから。田中優子さんは、脱原発は反核・非戦・非暴力と共にあることが重要なのだと指摘。再稼動は多様な新しい経済のチャンスを潰すと。神田香織さんは、チェルノブイリ事故の大量被曝で姿が次々変化していく、愛する夫を見守るリューシャの物語を講談で。渡辺一枝さんからは、フクシマに通い、フクシマに生きていく決意を。映画監督の坂田雅子さんは、アメリカの核実験で50年後も戻れないマーシャル諸島の人々への連帯の赤い花を髪に飾り、脱原発への思いを。上野千鶴子さんは、勝たなくても負けないでい続けよう!と、各々発信しました。

パート2は「福島に生きる選択」「福島を離れる選択」をした若い4名の女性からの発信で、コーディネートは古今亭菊千代さん。福島をすぐ離れる決断をした人、友人は次々避難したが、留まる決意をした人。いずれにしろ、離れる・留まるということを自分で決意することが大切と語り、どちらにいようと、みな人々との繋がりや支援の活動をしている女性たちです。「福島を忘れないでください!」という言葉に、菊千代さんは「忘れるなんて、とんでもない」と応えました。

会場からは「若い人は、自分の身体を守って」との発言や、参議院議員の大河原雅子さん、福島みずほさんからの連帯のアピールもありました。福島から来てくれた4人の女性たちに向けて会場から10万円を超えるカンパが寄せられ、それぞれのグループにお渡ししました。

当日の様子は以下のチャンネルでご覧頂けます。

IWJチャンネル
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/17786

葛飾市民テレビ(各プログラムごとに分割)
http://www.ustream.tv/channel/ktv2001
4.7集会見出し
4.7集会写真
2012年4月7日(土)、千代田区一ツ橋にある日本教育会館ホールにおいて、「脱原発をめざす女たちの会 4.7集会~もう原発は動かさない!女たちの力でネットワーク~」が開催されました。大飯原発再稼働へ向けた動きが加速する中、脱原発を求めて約600人の参加者が集まりました。

前半の講演で落合恵子さんは、「起きてしまった原発事故を起きなかった事にはできないけれど、現在と未来を変えることはできる。だから、皆さん元気で、ヤマンバとなるまで長生きして、脱原発を目指しましょう」と呼びかけました。中盤にはRAPMAM+がパフォーマンスを行い、原発事故は人間ばかりでなく、全ての命への加害であるというメッセージを発信しました。後半のパネルディスカッションでは、映画監督の鎌仲ひとみさんのコーディネートで、原発立地地で脱原発の声を上げ続けている女性たち、あさこハウスから小笠原厚子さん、花とハーブの里から菊川慶子さん、ハイロアクションから武藤類子さんが登壇され、現地の“いま”について切実な状況を報告し、全国からのサポートが力になると訴えました。

パネルディスカッションでは会場からも発言が相次ぎ、海外での取り組みの報告や、経産省前座り込みの現状報告と協力の呼びかけ、もんじゅ訴訟弁護団の活動報告なども飛び出し、「女たちこそが頑張って、“原発をなくした”と歴史に書き込もう」という鎌仲さんの声に満場の拍手が沸き起こりました。最後には、呼びかけ人の一人が「大飯原発の再稼働を絶対に許さず、泊原発が止まる5月5日には、子どもたちに原発ゼロをプレゼントしましょう」と呼びかけ、脱原発への決意を新たにする集会となりました。

4.7集会で感じた熱い思いをご自宅でも!
脱原発をめざす女たちの会「もう原発は動かさない!女たちの力でネットワーク4.7集会」は次のチャンネルでご覧頂けます。ご自宅でもぜひご覧ください。

IWJチャンネル
http://www.ustream.tv/recorded/21650521

葛飾市民テレビ(各プログラムごとに分割)
http://www.ustream.tv/channel/ktv2001
2012年3月11日 福島県民大会
「脱原発をめざす女たちの会」のぼり旗を掲げて集会に参加したみなさん。当日は多くの参加者のもと、地元からのアピールと加藤登紀子さんなどの歌声に会場は一つになりました。
2012年3月11日 福島県民大会 画像
2011年11月23日 キックオフ集会
キックオフ写真
脱原発をめざす女たちの会キックオフ集会は11月23日、参加者410名をもって無事終了いたしました。事務局もうれしい悲鳴をあげるほどの参加申し込みがあり、女性たちがいかに脱原発を真剣に目指しているかがうかがわれました。

会場に入れず、第2、第3会場にまわっていただいたたくさんの皆様、ご協力下さいましてありがとうございました。また、当日いらして下さいました方で会場に入れずお断りせざるをえなかった方には大変申し訳なく思っております。せっかくおいでいただきましたのに申し訳ありませんでした。

当日の様子を記録した動画がニコニコ動画、およびYouTube福島みずほチャンネルにアップされていますので、是非ご覧ください。(ニコニコ動画の視聴には無料のユーザー登録とログインが必要です)
キックオフ写真
女たちの脱原発宣言
東日本大震災と津波に起因する福島第一原発事故によって、多くの人々が家を追われ、生活を壊され、思い描いた未来を奪われました。大都市部の電力需要をまかなうために、経済難にあえぐ地方に押しつけられた原発は、計画当初から事故の危険性を指摘されてきました。しかも、放射性廃棄物を処理する方法はありません。にもかかわらず、原発を推進するために政府と電力会社などは「安全神話」を流布し、市民を欺いてきました。その結果起きたのが福島原発事故なのです。

原発推進派の人々は言います、「原発がなければ日本の経済活動は成り立たない」と。しかしそうでしょうか。原発がなくても電力は足りるという試算があります。自然エネルギーを促進することによって、さらなる電力を生み出すことも可能です。この狭い地震国に17か所54基もの原発が乱立するのは危険です。この状況は、男性優位社会における利潤追求を最善とする価値観の象徴ともいえるでしょう。

被爆国日本で反核の街頭署名にたちあがり、日本と世界に核廃絶運動を広げる原動力となったのは女性たちでした。その女性たちの力で、今再び世界に新たな価値観を示し、原発に頼らない社会を実現したいと、私たちは願っています。

危険な土地、危険な水、危険な空気を次世代に残すことはできません。福島原発事故を人類最後の原子力災害とするために、私たちは今日ここに集いました。私たちは、放射能におびえる暮らしを未来に遺すことを断固拒否し、ここに宣言します。

原発はいらない。


2011年11月23日
11.23キックオフ!「脱原発をめざす女たちの会」参加者一同
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